久方ぶりの更新となってしまいました。
前回の更新の次の日、東京に住む友人が亡くなったとの報を受け、葬儀への出席やなんやで、忙しくしておりました。
亡くなった友人は、小学生からの付き合いで、中学生の頃は同じクラブ活動のキャプテンを務めた奴で。
私、そのクラブ活動の連絡係のような職務に携わっておりまして、あちらこちらに連絡をするのに大変大変でした。
大変大変・・・ほんとに大変でした。
私、ただいま花も恥らう31歳でございますから、亡くなった友人も当然31歳。
早すぎる死でございました。
かの友人は、頭脳明晰、運動神経抜群、遊びもちょっと悪いくらいのところまでこなし、人望も厚いという、絵に描いたような優等生でした。
いや、優等生という枠には収まらないレベルであったことは、同級生の我々ならば周知の事実でございまして。
小中学生の頃からすでに、一目置かれる存在。
喩えて言うなら、先生と生徒の間に、もう一段階の階級があって、そこに存在するような奴でした。
当時はもう、「奴の言うことなら間違いはないだろう」という感じで、我々一般同級生とは違う次元に存在するかのように感じていたのですが、今となっては、奴にはそれゆえの孤独もあったのかもしれません。
事故や事件ではなく、病死ということでした。
ここでその友人について書いても、伝わる人はごく少数であることはわかっています。
ただ、この場所で書かずにいられないのは、今も私の人生においてど真ん中の座に居座り続ける「音楽」、ひいては「ロック」というものを、私に教えてくれたのはその友人だったからであります。
奴と、私と、もう一人の友人と。
その3人で、ブルーハーツのテープを貸し借りしながら過ごした小学校6年生の日々。
あの日々がなければ、私は今、これほどまでに音楽にのめりこむ事はなかったように感じています。
高校卒業後、京都大学に行った奴を追うように私ともう一人の友人は京都に移り住み、あのとき3人で初めて入ったスタジオの風景を、私は忘れない。
バンドを組むでもなく、ダラダラと暮らした京都時代だったけれど、こんなにも大切に感じる日が来るとは思いませんでした。
この先の人生でも、私は音楽をやり続ける限り、奴のことは忘れないでしょう。
唄は、私のほうがうまかった。
それくらいしか勝てるものがなかった。
だからそれだけは、これからも譲るつもりはない。
俺じゃなきゃ出来ないことを、私はやっていきます。
見てろよマッスン。