私の”写真”に対する個人的概念
≪私の”写真”に対する個人的概念≫
写真とは?言葉通り、”真実を忠実に写す”ことである。
元来は、ガラス乾板からの発明にある。
ガラスの利用は歪みのない忠実な再現性が出来るという理由。
画像は塩化銀を化学変化させ潜像化される。
物が忠実に写り、時代の切り抜きとして、記録として永久的に残る。
白黒もカラーも同じで、後にイエロー、マゼンダ、シアン色素の染色でカラー写真
ができる(内式フィルム)。
カラー写真も同じで、色の忠実な再現性を写真と呼ぶ。
世界三大メーカーは、コダック(アメリカ)、富士フィルム(日本)、アグファゲバルト
(ベルギードイツ)。
それぞれのメーカーが屈指に色の忠実性を競い合い、商業写真が成り立った。
銀塩画像とデジタル画像。つまり品質ではなく、合理性。
その時代の象徴が”コダクロームフィルム”。
世界でたった一つの退色劣化しない写真フィルム。
このフィルムの製造と日本での現像処理の撤退。
私はここに、業界の限界と劣化の始まり、そして全ての原点が”コダクローム
(外式フィルム)にあったと感じている。
2008年、私はこれを感じ、時代に逆らい、最後の銀塩カメラの名機として、
「Nikon F5」を購入した。
現在、確かにデジタル画像は合理的で便利で不可欠な存在。
色素、粒状性も銀塩粒子にも劣らぬものになってきた。やもえない、、、とも思う。
デジタルカメラの名機は、まだ買えない。進化中だから。
現在、デジカメの所有は、Canon G10とG12に留めている。
勘違いして欲しくないのは、デジタル画像であっても、写真と呼べるのは、
”真実を忠実に写す”にこだわったものだけ。
加工されたものは、グラフィックアートである。
今回の米コダックの破産ニュースで自分の人生とかぶせてこのように思う。
『日経新聞:米コダックが破産法申請 を読む』
『品質重視のKodakと合理主義のFuji Film
』
うた珈琲焙煎所 塩尻一成