つい最近、テレビで老夫婦の生活ドキュメントをたまたま見ました。

認知症になった奥様を90歳のご主人が必死に面倒を見ている………。

若い時は決して家事をしなかったけれど、奥様が家事ができなくなって、全ての家事をご主人がされていました。

脳梗塞で倒れて入院された奥様を毎日1時間かけてお見舞いに行っていたけれどコロナで会えなくなり、奥様はその後他界されるのですが……。


その様子を見ながら義父母のことと重ねて考えていました。

まだ義父が自宅にいたときに、何回か入院したことがありますが、その時や施設に入ってから毎日お見舞いに行こうとした義母……。

こんな気持ちだったのかな……と歩み寄る気持ちを持ちつつ、でも決定的に違う部分がありました。

それは、自分が行きたい。人に頼らない。

という主観的な気持ち……。

そしていつもポジティブな気持ち。

そのご主人は奥様だけに目が行ってるように見えました。

もちろん、ドキュメンタリーですからかいまみえないこともあったのでしょうけれど……。


義母は、基本ネガティブな人です。

もちろんそのご主人に負けないほどの義父への想いはあったと思います。

ですが、行きたい……と同時に、行かなければならない……という使命感と過剰な重責。

それに伴う人の目。自分への評価。

そして、自分がそれができないと人に代わりに行けという……。人にも関わらせようとする。

1日も欠かさず行った……ということに異常に拘ったりする……。

自分だけでこだわるならまだしも、人も巻き込む。


この差はとても大きい……。

友人のお父様で、90歳近いご高齢ですがとてもポジティブな方がいらっしゃいます。

すでにお母様は亡くなられておひとりで、最近デーサービス等にも通いはじめましたが、とにかくポジティブ。楽しんでらっしゃいます。


私が義母に手を出さない大きな理由は、手を出したら最後自分でやらなくなるからです。

手を出したその瞬間から先、その仕事は私にやってもらうことになるからです。

1度昼ごはんを作って届けたら、翌日には昼時に今日はないのかしら??と言ってきます。

長い付き合いでそれがわかっているので私は手を出しません。


また、自分のやり方が譲れない人です。

矛盾してますが、この二つが同時に存在してるのです。


全く同じ環境にあっても、その場を楽しもうとする人、その場を嘆く人……。

全然違うんだなぁ……。

自分が歳を重ねた時、できないことはたくさん出てくるだろうけれど、できないできない……と嘆かず、できることにポジティブに向かう…‥そんな姿勢でいたいとおもいました。