こちらは過去のお話になります。

思い出しながら書いているので時間軸が前後する場合があります。

義母の愚痴だったり、父の介護の話だったり、とりとめなくてすいません。




    

実家の父は有料老人ホーム入居ていましたが、膀胱炎から高熱を出し
食事が取れなくなりました。
胃瘻も考えましたが
父の状態を見て看取ることにして
病院を退院し
有料老人ホームに戻りました。


父が戻った部屋は、明らかに看取りのお部屋でした。

明るい日差しの入る大きな窓と白いカーテン。

お花が飾られて、緩やかな音楽が流れていました。




すぐに、伸び放題だった父の髭や耳の毛をきれいにしてもらい、爪も切ってもらいました。 

寝たまま髪の毛も洗ってもらいました。

さっぱりして穏やかな顔でした。

父はほぼ眠っていましたが、たまに声をかけると

うっすら目を開けました。


あぁ、やっぱり連れ帰ってよかった。

仕事終わりのスタッフの方が次々立ち寄って声をかけてくれます。

また明日ねウインク

父にとってまた明日が何日あるかはわかりませんが、

空気の澱んだあの病院で看取るより、

心のあるこの施設で看取る方がどれだけいいか……。

あの時、本当に早く決断してよかった。

今でもそう思います。


今夜泊まられますか?

と聞かれたのですがあと1週間と思うと今から泊まるのも…。

その日は帰宅しました。


家に帰ると、夫から

義母が見舞いに行きたいって言ってるんだけど、

今はそう言う時期じゃないからって断ったよ。


断ってくれて本当にありがたかったのです。

見る影もなく痩せた父を親族以外に見せたくなかったし、残された時間を大事にしたかったし。

父だって絶対こんな姿を義母なんかに見られたくなかったはずです。


翌朝も朝から施設に詰めていました。

義妹も休みを取って2人でずっと父のそばにいました。

思い出話したり、たまに父に声かけて話しかけたり。

義妹が美味しいプリンを買ってきました。

ゆっくりなら大丈夫かも……。


父にプリン食べる?


と聞くと

小さい声で、食べる…と言いました。

ベットを斜めに起こして、スプーンの先にほんの少し……。

耳かき2杯くらいのプリンを恐る恐る口に入れました。




義妹と2人で

頑張って!

ゴックンして!

がんばって!

頑張って!

とものすごく声を出したので、父が


頑張ってるよぉー!えーん


と言ったので、義妹と大笑いしてしまいました。

その言い方がいつもの父そのものだったのです。


そんな家族の穏やかな時間を崩されました。


義母がやってきたのです!ムキー

あんなに来ないでほしいと言ったのに!

長い時間持ち歩いてぐずぐずになった

コージーコーナーのシュークリームを30個持って。

あまりのことに私は怒りを通り越して泣けてきました。


この人何?!💢

そして、そこここの施設とスタッフに

どうも、すっかりお世話になりまして。

ありがとうございます。

お世話になっております。

うたさん!シュークリーム配りなさいよ!

あなたはどの立場でそれ言ってますか?!

残された父との時間をどう考えてますか?


30分ほどして、伯母たちが来ました。

父の姉たちです。

最後のお別れに来たのです。

当然義母は帰ると思ってました。


帰らないんです!!


さぁ、どうぞどうぞ!


あんた誰よ!💢

伯母たちが義母にあったのは結婚式以来初めてです。

伯母たちも帰らない義母に戸惑ってました。


何より義母がいると私は素直に父と別れがができないのです。

もうとにかく早くどっかに行って欲しかった!

そのあと仕事を早退して夫がきました。


夫が止めたそうですが義母は

そうはいかない!

と聞く耳なくやってきたとのこと。


そうはいかない!って何!!!???


夫は伯母たちがきてるのを見て

義母に帰るように促しました。

なんで?びっくり

伯母さんたちだって姉弟水入らずでいたいだろ。プンプン


多分、夫の車で一緒に帰りたかったんだと思います。義母は渋々帰って行きましたが、たぶん3時間くらいはいました。

自分の非常識さを、その歳では誰もおしえてくれないでしよう……。自分さえ良ければいい……全てのことが自己愛の塊です。思い出すだけで、歯を噛みしめてしまいます。


やっと静かになって夕方、


またスタッフの方に泊まりますか?

と聞かれたのですが明日も朝から来る予定だったのと、いずれ数日後には泊まらなければならないとおもっていたのでまた明日ねと声をかけて帰りました。


そして、その日の夜中。

オリンピックの男子フィギュアスケートを見ていた時に携帯電話が鳴りました。