こちらは過去のお話になります。

思い出しながらかいているので、時間軸が前後する場合があります。


実はこれから書く話は、私が義母を許せない!

と思う中で3本の指に入ります。

いつ書こうか……と思いながら何度も書き直したり分けたりしたので時間がかかりました。


しばらくの間、愛犬サラとの別れと義母への怒りを書いていきます。

 

二世帯住宅を建ててすぐ、犬を飼いました。

ミニチュアダックスフンドのサラです。

哲平が一人っ子であったので、教育にもいいかなぁと思い生後1ヶ月半の時に我が家に来ました。


⬆️イメージ画像です


学校で嫌なことがあっても息子はサラに癒やされていたと思いますし、私たちもどれだけ癒やされたかしれません。


ただ、息子が12年間スポーツをしていたことと、私も外出が多い時代だったので、土日もお留守番することが多いサラでした。

どんな時も、遅かったよーって尻尾を振って迎えてくれましたが、日中は寂しかったと思います。


そんなサラが歳を重ね、ハイシニア犬となり大人になった息子も私たち夫婦もひたすらサラをいたわり見守る時期が来ました。

実家の父を見送って、数年後のことになります。


最初は下痢が止まらないことから始まりました。

何度も獣医さんに足を運び4回目の薬がやっとサラに合ったのか下痢は止まりました。

犬にも認知症があります。

クルクル回ったり、狭いところに入ると後ろに下がらなくて壁にじっとしていたり。

壁に沿ってずっと歩いていたり。

サラは後ろ足が弱くなって、チッコの時にペタンと触ってしまうようになりました。


その頃の私は人間の勝手なような気がしてなるべくオムツをさせたくないと思っていました。

ある日仕事から帰ると、オシッコまみれになっているサラをみて、

明日からオムツしようね…。


後ろ足が弱り踏ん張りがきかなくなり、サラが歩くところには滑り止めのカーペットを貼り付けました。

すると滑り止めカーペットのザラザラがサンドペーパーのように足を引きずるサラの足が擦れて血が出てしまいました。

毎日が本当に試行錯誤。

私は仕事も休んで、良さそうと思うものはなんでも試しました。

それでも歩けなくなり、まだ前足が丈夫だった頃は犬用車椅子を用意したりもしました。


足の踏ん張りが効かないので、自分でご飯を食べられなくなり、離乳食のように用意して抱っこして食べさせました。

抱っこしてご飯を食べさせることが本当に可愛くて可愛くて。

その頃サラのために作ったご飯の画像がのこっていました。






その頃は1階で食事をすることはまだほとんどありませんでした。

ある日、叔父叔母が来て、また降りて挨拶するように言われました。

サラを1人にはできないので、抱っこして降りてずっと抱いていました。


わんちゃんも歳をとると人間と一緒なのねぇ。

でもサラちゃんは幸せね。

こうして大事にされて。

叔母がサラを見て優しく言いました。


すると横から義母が


私も死ぬ時はああやってうたさんの腕の中で感謝して死にたいわぁ~


はあ?

サラは今、一生懸命生きてます!

私の腕の中とか気持ち悪い!ありえない!黒字は心の声です。


どんな時でも、自分のことだけを考えている義母です。

そしてサラとの別れの日は近づいていました。