訳あって実家の父は認知症要介護3で
一人暮らしをすることになりました。
デーサービスやヘルパーさんを頼みどうにかその日その日を暮らしていました。
父が一人暮らしになったのが、2010年の暮れ。
どうにか一人暮らしのリズムができてきた頃2011年の3月を迎えます。
東日本大震災の日、実家の地域も震度5強の揺れでした。
父はちょうど、デーサービスから戻り1人部屋に入った時に揺れ始めたそうです。
私と息子は帰宅難民になっていました。
父のことは気になりましたが、かろうじて息子とはメールで安否確認ができていましたが、
もう電話は通じず夫には連絡ができませんでした。
夫は会社にいたので、自転車ですぐに家に戻りまず義父と義母そしてその時飼っていた犬の安全を確認して、すぐ実家に向かってくれました。
実家の隣には小学生の娘さん2人のご家族が住んでらして、よく父のことを気にかけてくれて、頂き物を分けてくれたり、父もお菓子をあげたりしていたようです。
夫が実家に行った時に、隣の女の子が実家にいました。
地震の後、隣の家から泣き声が聞こえて、父は隣の家をピンポンしたそうです。
女の子が1人でお留守番をしてて地震になり泣いていました。家のドアが開かないと言ってるそうで、
父はドアの鍵を開けるように言ったそうですが開かず。
結局窓から出てくるように言いました。
お母さんは下の子の私立の学校の保護者会に行ってるそうで、場所を聞くと歩いて帰れるところではなかったとのこと。
夫は実家の父の安全も確認してしばらく実家に居てくれたようで、そこへたまたま実家の近所の歯医者に来ていた伯母が帰宅難民になり、父のところにきました。
父を伯母に託して夫は帰ってきました。
伯母がいてくれて本当に助かりました。
隣のご両親が帰宅したのは夜中だったそうです。
女の子1人で夜中まで‥…と思い本当に心焦ったけれど
途中で連絡を取ることができ、隣にいると聞いて本当に安心したと父と伯母に何度もお礼をを言っていました。
後から見せてもらいましたが、
離婚届に自分の名前さえ字を忘れて書けなかった父が、
むすめさんは、となりで
あずかっています。
○○
(実家の姓)
なんだか涙が出てきたのを覚えています。
追記
震災の後、我が家は食材が手に入らずたまたま金曜日で翌日に買い物の日で冷蔵庫は空っぽ。
テレビに映る悲惨な状況を見ながら、同じく認知症の義父に義母が言いました。
大きな地震があったでしょ。
スーパーから食べ物がなくなって、
冷蔵庫にも食材が少ないから、
たまたまお米も残りが少なくて、買いに行っても売ってないのよ。
しばらくあるもので我慢してね。
被災地ではたくさんの人が大変な思いをされてるのよ。
あぁーそう。
はぁー!大変だねぇ。
お腹すいた!ご飯にしてください!
それを聞いた時に思いました。
認知症の父と義父と2人抱えながら、冷蔵庫を空にしたのは間違いだった。
電池もなかった。
地震の用意も何もしてなかった。
おおいに反省しました。