こちらは過去から現在のお話です。
ネットで今は全国の美味しいものの情報や品物をゲットできる時代ですが。
当然ながら義母はネットとは無縁の生活なので、今まで生きてきた中で得た情報が全てです。
テレビ台の下に古いファイルノートがありまして、そこに過去に食べたりいただいたりして美味しかったものの情報がファイルされています。
本当に古い新聞の切り抜きや、宅配便の伝票を剥がしたものなど……。
その中に和歌山の某梅干しがありました。
塩分控えめで、確かに美味しい梅干しでした。
息子の高校のお弁当のおにぎりはこの肉厚梅干しをほぐしてゴマと一緒にごはんに混ぜたおにぎりを持たせました。
義母はそういうものを見つけると、旗を振って🏳️🌈欲しい人〜と募り、親戚、友人の分、自分のお中元お歳暮、会社関係のお中元お歳暮に梅干しを購入してました。
1年に2度、1キロ入り梅干しが大きな段ボールで届きました。
業者か!
その頃の私は叔母に運転手を頼み義母が1件1件自分でお中元、お歳暮を届けて回っていたのに1度だけ同乗したことがあります。
叔母と車で待ちながら、義父の会社は義母がああやって必死に支えてこんにちがあるのよね‥‥そんな言葉を聞いた記憶があります。
今思えば……
取引会社に、年に2度梅干し届けてどーすんの?
会社に梅干し、どう処理するの?って思うし、
宅配便使えばいいのにって思いますが。
その時は、義母のこだわりなんだろうなぁと、ちょっと他人事に見てました。
私が知る何年も前から、この梅干しは続いていたし、
私が知ってからも数年は続いていました。
夫が会社を引き継いで、私が経理を担当することになってからは、デパートからコーヒー等を送っています。
その後も義母は自分の知り合いには、盆暮に梅干しを送っていました。
ある年。
もう年金生活にもなったし、お中元お歳暮もこれで最後にしようとおもう。と義母がいい、これで盆暮れのご挨拶は終いとささせていただきますと挨拶状を添えて最後の梅干しを送りました。
数日後、義母にとっては厳しいお礼状が届きました。
その手紙には………
これでやっと、梅干し地獄から解放されます。毎回毎回梅干しが届いて辛かった。
義母はショックと共に憤慨し、こんなこと書いてくるなんて信じられない!と怒っていでした。
確かに黙って受け取っておけばいいのに書いてくる人もすごいな……とは思いますが、
私はなんとなく少しわかる気がしました。
梅干しを食べないお宅に1年に2度1キロの梅干が届けられるのです。
捨てることもできず、その処理によほど苦労されたのだと思います。
自分が好きなものが、
他人も好きとは限らない。
お中元とお歳暮は
毎回少し変えるようにしています。