これは、過去の話で記憶を辿って書いてますので時間軸が前後します。
自分たちの家に帰ってから、育児は本当に楽しくて毎日があっという間に過ぎていきました。
夫が親に強くものを言わない根本には、義父の会社を継ぐための国家試験資格を取れていなかったので、自分は半人前だと思っていたそうです。
でも子供が産まれ、父親になったことで私たちを守るという大事な使命ができて、彼も少しずつ変わっていったと今振り返って思います。
国家試験の勉強のために、夫は仕事の後学校に通い始めました。
帰宅は11時ごろになるので、平日はワンオペ育児でした。
大変だったのは1人で入れるお風呂だったけど、自分なりに段取りで工夫し、レンタルで借りれる便利なものは借りて対応しました。
産後のあのストレスに比べたら、どの哺乳瓶を使おうと、紙おむつを使おうと、何を着せようと文句を言う人はいません。
夜の授乳も夫も交代でミルクをあげてくれました。
育児ノイローゼにも無縁でした。
頼れる場所はない…と思うことがものすごく私を強くしたと思います。
義母から近況確認電話が入りました。
私ね、あの後熱を出して寝込んだのよ。
お父さんに、たくさん気を遣って大変だったものなぁ…と言われたわよ。
初産だったし、産後お世話になったことは素直に感謝します。
でもひ孫と暮らさせたいと田舎から祖母を呼び寄せたのはあなたです。
哲平の育児に手を出したがったのもあなたです。
産後の日立ちもよかったし、退院後は哲平にもなんの問題もなかったのだから、2週間程度で帰らせてもらってちょうどよかったのに、1ヶ月を譲らなかったのもあなたです。
たしかに義母も義母なりに気を使ったでしょう。
あんなにマウント取るのに必死だったのたから。
夫婦でどんな会話をするのも自由です。
義父は義母を労ったのでしょう。
それを私に言うのはどういう魂胆ですか?
私にどんな言葉をもらいたかったのですか?
私が、あぁ、この義母とはうまくやっていくのは無理なんだな。と心から思いました。
母になって私は強くなりました。
言いたいことはいう!
同居は無理!
この時から私は変わったと思います。