拙いブログをご覧いただきありがとうございます。

過去のお話を記憶をたどりながら書いています。

ほぼ愚痴になります。


哲平に黄疸が出始めました。

また保育器に逆戻り。

目隠しをされてライトを当てられてる様子は、子供と離された母親には本当に辛かったです。

お腹が空いてギャンギャン泣いていると、うちの子に先にミルクあげて!って心が叫びます。えーん

おっぱいをあげることもできず、ただ搾乳して哲平のいない部屋に1人ぽつんといるだけ。

私は精神的なかなりナーバスになっていき、病室で泣いてばかりいました。

記憶は確かではないですが、黄疸の単位がどんどん上がり、これ以上上がったら別の病院へ運びます……と言われたと思います。


私は順調に回復したので予定通りの退院になりました。幸い哲平はピークから数値が下がり始めてきましたが一緒には退院できませんでした。


他の人たちが、赤ちゃんを抱いて看護士さんたちに送り出される様子を見ていたので、私も……と思っていましたが、

私1人の退院。しかも日曜日で看護士さんも少なく、

会計も後日ということで、誰の見送りもなく、誰もいない病院の待合室の入口から夫と2人でひっそり退院しました。

あ!……

この病院はアットホームで、退院の時に迎えに来た夫の御膳も用意してくれて、お花が一輪とお祝いの言葉が添えられていました。

あの時、その心遣いが本当に嬉しかったです。


マタニティブルーもあってとにかく情緒不安定で涙ばかり流していました。

哲平と共に退院してくると思っていた義父母はがっかりし。


私の退院祝い……と言いながら、ほぼお通夜。

お赤飯が炊いてあったので、わざわざすいませんとお礼を言うと、

仕方ないでしょ。一応炊かないと。哲平が退院した時はまた炊くわよ。


本当は私は歓迎されてるわけではないことをヒシヒシ感じてすごい罪悪感と疎外感を感じました。

今思うとね、まぁ確かに哲平とセットで私が存在感するのだけど…お赤飯を炊いてくれたのはありがたいことだけど、言い方ってあるでしょ。


何言ってるの。

赤ちゃんを産んでお母さんが無事退院できたんだからおめでたいでしょ。

哲平が退院してきたらまた炊きましょ。

おめでたいことは何度あっても嬉しいでしょ。


あー妄想。爆笑そんなふうに言ってくれてたらなぁ…。

私の1人で退院の悲しみも寂しさも和んだのになぁ……。笑い泣き笑い泣き笑い泣き


結局哲平は2日遅れで退院してきました。


そこから義母と私の葛藤。

義父の空気を読めない自分勝手。

祖母の悪気はないんだけど困ったこと。

辛い辛い1ヶ月の始まりでした。