この間三人子持ちのお母さんを見た
上の子は1人で食事や服の着替えができるような年齢
真ん中はようやく言葉で自己主張をし始める様な年齢
一番下は首が座るか座らないかくらいの月齢
下の子がね、抱っこ紐のなかでじーっと
お母さんを見つめてて。
お母さんはほかを見ていてそれに気がついてない。
じーっと見つめているその子の口元がふっと
ドラクエのスライムみたいになって1人でにこにこ
何が楽しいんだろう?
目の前にお母さんの顔があることが?
視力がまだボンヤリしているだろうから、いつもより近くてはっきりとお母さんの顔が見える
ということに対する喜びなのか、、
良かったね、赤ちゃん。と思った。
三人も子どもが持てて←うちは3人も育てるのはきっと経済的にきつい
見る限り健やかに育っている(ように見える)
なんて幸せなんだろう。
って思った。
その「幸せ」に対してわたしは「いいな」と思った。
この「いいな」は単純に素敵だなと素直に認めた気持ちで
羨んだりする妬みの気持ちは湧かなかった。
だってあの子が見つめて喜ぶのはあのお母さんであって
わたしではない。
わたしを見つめて喜ぶ子と早く出会いたいなあ
って感情だった。
最近とても感じるのが、
他人の幸せを「それはそれ」で素直に認められる気持ちが大切だなって。
自分と比べたり羨んだりするときりがないし
結局求めてるものは他人と同じ「それ」じゃない。
自分の心の幻を他人に投影して、勝手に自分を苦しめてるだけで。
羨ましいなと思う気持ちを、相手を攻撃する理由にするのは
一番下らないなあと思う。
と、こんなことを考えたのは
ブログで「不妊様」感情に触れて、それに飲み込まれるのは簡単だけど
取り戻すのは難しいなと思ったから。
誰かと比べた相対的な自分はそこらじゅうに存在していて見えやすいけど
自分の中で培ってきた絶対的な自分は、自分しか知りえない部分で
そこが陰ってしまったとしたら、誰かが「元がどうだったか」教えてくれるものじゃないし
きちんと自分で見つめ直して
再確認すべきだと感じた。
ていうか咳が辛くて寝れない( ˙꒳˙ )