あじさいの匂い | オクノスタイル

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福岡を中心に、オリジナル曲を歌ったり、語りと即興音楽のライブをやったり
写真を撮ったり、物書きしたり

日々の様々を自分目線で書きつらねてます



あじさいって、花束のような花だな
もはやどこが花なのか、よくわからない

品種改良って魔法なのか?
見れば見るほど、見てしまう

じっと見てたら、耳元でぷーんっと聞こえ、蚊にさされそうになった
危ない、危ない、危ない



土の成分によって色が変わるのは有名だけど、あじさいの色が変わると、その下に死体が埋まっているらしいという話があって

私にとってあじさいは、ずっと怪しげな花だった

育ってれば育ってるほど、これ何体か埋まってるんじゃ、、と疑っていた


何を見てそんなことを信じていたのか、多分ドラマか映画だろうと思うのだけど

あじさいには、得も言われぬ生々しい匂いがあって

まるで感情を持ってるかのように、感じてしまう



そういえば、桜の木の下にも死体が埋まってるイメージがあるな

そういえば、彼岸花も死体埋まってそう
春、夏、秋、ときて、冬の犯人は、、雪の下に埋めるか

ミステリー大好き過ぎて、何でも事件にしようとする傾向が(^_^;)


あじさいは生きてる感が強くて、切ると血が出るんじゃ、、とかもこっそり思っている



ところで
先日、「風船」という字をみていて、ゲシュタルト崩壊をおこしかけた

これなんだっけ?にいきかけて、からの、改めて見ていて、「風船」って、風の船って書くのか!と気付き、ものすごーく感動した


風の船って、、、
センス!

名付けた人の脳みその一部でいいから欲しい


ゲシュタルト崩壊おこしかけるって、たまにありますよね


例えば、「淡い」ってさんずいに炎と書くのかと驚く、とか

炎から淡いは繋がらなかったけど
言われてみれば、炎をじっとみていると、微妙に色が変化していて、空気をゆらゆらと揺らしたり、あわいかも、、


感受性の扉が開くと、思わぬ世界が連鎖的に広がることがあって

人はこれを、パラレルワールドというのではないかと思う


同じであって、同じでない

見えないものが見えた気がした瞬間


あったのになかった
なかったものがあらわれたけど、それはずっとあった


幾重にも重なりあって世界ができているのなら、正解を求めることが無意味なんだとよくわかる


違いがあるとすれば、気づくか気づかないかだけ

気づいた気になっていても、それは、ここから見上げた空の星をひとつ見つけたみたいなもので
その奥には、とんでもない数の銀河が隠れている


、、何となく、許された気分だなあ


許された、と思うのは、許されてない前提がある
、、ということに、今気づいた


頭でグルグル考えてると、そこには、ほんとにグルグルした空気の層みたいなものが生まれているらしい

わたしは割りと考えるのが好きで、考えてるうちに、思考がサーフィンし過ぎて、溺れたり迷子になったりする


結局は、どこにも行きつかないしとりとめがない場合が多い

サーフィンのキモや、コツが掴めてないのだ




頭の中のグルグルが、風にそよぐ船みたいにフワフワ浮いてたらいいなあ

紐もはずして、どこまでも飛んでいって
少しずつもれだして、そのうち萎んで


そんな風に飛ばせるのなら、悩みも迷いも自由だなと心が風になるようだ



私たちは、ただ生きてるだけで、とても疲弊するらしいから

1000くらいのストレスは、普通に遮断しているという話も聞く


この世界は、刺激が強すぎるんだろう


あえて感覚を鈍らせていると、心も鈍るんだろうか




自分を守ってくれているのは自分


はっと我に返ったら
あじさいからは、何の匂いもしなくなっていた