花びらのように | オクノスタイル

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福岡を中心に、オリジナル曲を歌ったり、語りと即興音楽のライブをやったり
写真を撮ったり、物書きしたり

日々の様々を自分目線で書きつらねてます



臥龍桜


写真ではわかりにくいけど、龍のように枝が地を這い


足元から見上げる空まで、花で埋め尽くされる



名島城跡に咲く、幻のような桜


一年に一度、狂おしいほどの春を世界に放つ


桜は、扉を開く




今年は天気の関係で、花を長く楽しめてると、桜大好き友人が言っていた


雨ではなく風に散る桜を、普段より余計に見れるかもしれないという



花びらが散る


何年か前、風の強い日に、空いっぱいに桜の花びらが散るのを見たことがある


まるで、テレビでみたサンゴの産卵のようだった


海の底にいるような、浮力だった


ふわふわと浮遊して、花びらは、景色を薄くももいろに染め尽くし


それは、終わりではなく始まりで



ほんとうに美しい光景だった





世界は突然変わる


それは、つぼみの中で知らないうちに膨らんでいく


夏があり、秋があり、冬があり


そうして、ある日その片鱗に気がつく



溢れ出したものは、世界を一瞬にして変える


そうあることで、そうあるだけで


すべては変わる






花が散るとき、重力を感じる


重力って、地球に住んでるとものすごく(いちばん?)影響を受ける力だ


の割に、普段意識することはほとんどない


重力つよっ、からだ重たっ!とか、重力よわっ、心もとないわ、とかは、あんまり考えない



だから、今の時期、桜や楠の葉が散るのをみて、重力ってきれいなんだなあ、と思うようになって、それは新しい発見だった(掃除は大変だけど)


重力は目に見えないし、形がない


でも、例えば花びらのひらひらと舞っていく軌跡を辿ると、重力が見えてくるのだ




それは、外的なものに翻弄されまくってるようでもあり、意志を持ち自分の場所へ落ちていくようでもあり


どちらにしても、美しい舞だ


「舞うように」と表現する日本人の感性に、ほんとうに感服してしまう





自分はどうだろう

翻弄されまくっているようで、自分で自分の落ちる場所を目指しているのだろうか


どっちだったとしても、花びらのようであればいいな

舞うように、目的地へ行けたらいい


重力は、自分を縛るものではなく

自分を美しくするものだったなら


わたしはどこへ行こうとも、終わりであり始まりの中を、ひらひらと揺らめきながら、生まれ続けることができる





憧れながら