8.12  沢村を殺したものは野球でもアメリカでもなく戦争悪魔 | 短歌&野球

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ぼくのへたくそな短歌と、大好きなプロ野球についての感想を、日記形式でつづります。ぼくの個人的な経験も書いてしまうかもしれません。

沢村栄治投手は、プロ野球草創期の「虚陣」とゆうよりも日本のエースであった。

彼のベストピッチングは1936年(S11)と翌年に集中している。彼が19歳、20歳のころである。


36年秋のシーズンは13勝2敗、防御率1.05。37年春、24勝4敗、防御率0.81。

この両シーズンにはノーヒットノーランも達成している。


しかし、2度の応召(徴兵令により兵士として戦地におもむくこと)のたびに、沢村栄治の肩は壊れていった。「手榴弾投げ競争」とゆう訓練の模範演技のためだった。彼の投げる手榴弾はどんな若い兵隊よりも遠く速く正確に目標に命中したことだろう。驚きと喝采。


「おれはこんなものを投げるために生きているんじゃない」

栄治のこころの叫びは、しかし、声にすることはできなかった。


17歳のとき全日本のエースとして、メジャーリーグ選抜チームと対戦し、ベーブ・ルースらを

ばったばったと討ち取り、ゲーリッグのソロHRに抑え1-0で惜敗したシーンを、栄治はいつも思い出していた。「いつかメジャーリーグに勝ってみせる」


肩がぼろぼろになってしまった栄治は43年(S18)のシーズンは0勝3敗、防御率10.64だった。

彼は打者転向を申し出る。バッティングセンスも評価されていたからだ。

しかし「虚陣」はそれを認めなかったばかりか、栄治を解雇する。


ぼくが「虚陣」ファンをやめたのは、この事実を知ったときだった。


野球選手でなくなった栄治は、徴用工(国の命令で工場などで働かされること)として妻と生まれたばかりの長女と暮らしていたが、44年(S19)、3度目の赤紙(徴集令状)が届く。


門司港からフィリピンに向かう輸送船に乗った栄治は、台湾沖で米軍の魚雷攻撃にあって戦死した。


野球の祖国アメリカ、栄治を「スクールボーイ沢村」と賞賛を惜しまなかったアメリカとの戦争で死んだ沢村栄治。


8月になるとこの話をしたくなる。野球は平和が似合う。



さあ、神宮参戦、「虚陣」を倒す!


きのうのG戦は4回で終わったね。

石川のリズムがどうもよくなくて、名手宮本のエラーで無死満塁、松本の2点タイムリーで3-2と逆転され、慎の助の2ランで5-2とされたときは、連勝もここまでかと思った。


石川のリズムがわるいとゆうのは相川との「呼吸」が乱れるとゆうことであり、それが野手の守りにも影響する。


でもいまのスワ打線は5点取られても、負ける気がしないようだ。


内海を3回もたせず、1点差にせまり、代わった野間口から4回裏、ヒロヤスが同点タイムリーを打つと、飯原が2本目のHRであっさり7-5と再逆転。それでGは戦意喪失。7-5でゲームセット。


石川もさすがにリズムを取り戻してなんとか7回までねばった。

石川8勝目。スワローズ8連勝。


ドラまで3.5差。


きょう勝って9連勝となると、首位「虚陣」まで7差となる。まさか、ひょっとすると、????とゆう話題も出てくるだろう。


相手は東野だ。不足はない。いまなら早めにKOできるぞ。


ヨシノリの先週につづく快投を信じる。


ぼくならば、捕手・川本でいく。きのう2発のヤスシはそのまま3番でレフト。5番にライト武内でいく。

小川さんと一致すればうれしいけれど。


どうであれ、「運」もふくめて勝ってるわけだから、なんでもいいから結果としてGを3タテしてほしい。