いろんな指揮官がいるなあ。
ぼくは少年野球と中学校の野球部くらいしか選手としては知らない。
ぼくが小学校5年のときに、近所の野球少年を集めてチームをつくろうと動き出したおじさんがいた。いま思えば30歳くらいの青年である。建築カンケイの仕事をしていた。かわいらしい奥さんと赤ちゃんと3人で6畳4畳半くらいの貸しアパートに住んでいた。
毎朝仕事に出かける前、ぼくたちが学校に行く前、5:30に集合して某都立高校のグラウンドで2時間ほど練習をした。彼のノックはかなり巧みで、捕れるか捕れないかの難しいゴロでぼくなどは内野手として鍛えられた。小学生はぼくひとりレギュラーになった。
ある日曜日、十数人の少年たちが彼のアパートに「招待」され、冷やし中華の出前が運ばれて、ぼくたちはご馳走にあずかった。これはたいへんムリな出費ではないかと、ぼくは子ども心に感じた。それほど、彼=A監督さんはやる気なのだ、とも思った。
自分が監督をやるからには練馬区の少年野球大会で優勝するようなチームをつくりたい、とゆうような挨拶をAさんはした。そして最年長の17歳でペンキ塗装工のYさんを主将に推薦した。Yさんはエースで4番だ。ぼくは7番ショートでどうかと提案され、みんなが拍手で賛成してくれた。
チームの名前を決めることになり意見を出し合った。「リトルジャイアンツ」とゆう名称をAさんは考えていたようだった。でも、それはウケなかった。リトルなんとかってゆうんなら「リトルタイガース」がいい「リトルライオンズ」がいい、と先輩たちの意見は割れた。
Aさんはぼくのほうを見て「オレもみんなも英語は全然わかんねえようだ。チビくん、きみの考えてることを言ってごらん」と話をぼくに振ってきた。ぼくは「リトルジャイアンツもリトルタイガースも江古田や椎名町のほうにあるチームだから認められないと思う」とゆうと、「なんでおまえは何でも知ってるんだ」とゆう目でみんながぼくを見た。
ぼくが提案したのは……練馬は昔はダイコンradishで有名だったから「ナインラディッシュ」とか、今はキャベツ畑のなかで野球やってるみたいなものだから(60年代の練馬区ってそうだったんですよ。モンシロチョウの大群に追いかけられながら白球を追いかけてた)「キャべッツ Cabbages」とか、言ってみた。カッコよくないと却下された。
それでいちばんこれがいいなと思っていた「ゴールデンエッグズ」を出してみた。「ぼくたちのチームの主力は中学出て働いてる人たちで、ほかのチームにはない特徴でしょ。そうゆう人を’金の卵’って世の中では言ってるから」。今、考えてもいいネーミングだと思うのだが、ウケなかった。
結局、ぼくが最後に言ってみた「ランサーズ」に決まった。「槍をもった騎兵のことなんだ。ぼくたちもバットをもって敵陣につっこむ騎兵隊なんだ」とゆう提案に、「すげえ、これで決まりだ」とゆうことになった。ぼくはわら半紙にマジックで「Lancers」とでかく書いてAさんに手渡した。
みんなが有り金はたいて注文したユニフォームができてきた。みんなはしゃいでいた。「オレはユニフォーム着て寝るんだ。起きたらそのまま朝の練習にいけるだろ」。ぼくもそうゆう気持ではあったけれど、真っ青になった。ユニフォームの胸には「Lahcers」と縫いこまれていたのだ。nがhになっている。これじゃだれにも読めない。
ぼくは泣きながらAさんに抗議した。Aさんは「チビ、そんなこと気にするな。だれも読める奴なんていないんだ。横文字の1個がちがってるとそんなに恥ずかしいか? それよりユニフォームができてみんな真剣に練習する、そのことを喜べよ、な」とぼくをなだめた。でも、ぼくの悲しみと怒りはなかなか収まらなかった。
Aさんが注文したスポーツ用品店へ行き、スペルが間違っているから無料で直してくれと交渉した。店主は「監督さんの書かれた注文どおりに作った」と取り合ってくれない。Aさんの書いた「Lahcers」の汚い文字の注文表を見せられた。「坊や、大人のやっていることに子どもがケチをつけるもんじゃないよ。きみは評判の秀才らしいけど、ナマイキなやつは嫌われ者になるぞ」って、脅しのコトバまで貼り付けられて…
以来、ぼくはアタマの悪い大人とずるがしこい大人が嫌いである。
ぼくは母親に頼んでhの突き出たところを上手に切り取ってnにしてもらった。でもチームメートはそれに気づかなかったし、みんなもこうしてほしいと提案できる空気ではないと感じて、そのままだった。
町中の電柱に「ランサーズに来たれ! 希望社はA宅まで」と書かれた手書きのポスターが貼られた。AさんとY主将がやってくれたのだ。「やってくれた!」と、ぼくはアタマを抱えた。「希望社」ではなく「希望者」でなければ意味が通じない。ぼくはAさんに恐る恐るそれを指摘した。「わかるやつにはわかるから、これでいいのだ」って赤塚不二夫みたいにゆうのかと思ったら「オレの恥を町中にまきちらしてるようなもんだな。ありがとう、チビくん、さあ、直しに行こう」と、赤いマジックをもって「社」を消してその横に「者」と書いて歩いた。
チームは中学生チームや大人の草野球チームには連戦連勝となった。A監督は「みずからも戦う監督」だった。相手チームの選手や監督を野次りまくるのである。えげつないときもあった。「監督、大学出てんだってね、いい給料もらってんだろうね。選手もみんなお坊ちゃん育ちみてえのばっかりだ。こっちは中卒監督と中卒選手ばかりよ。でも、なめるんじゃねえぞ。野球はアタマですんじゃねんだ、苦しい生活と厳しい練習のなかから生まれる根性でするんだ」って、昔はこんな監督ばかりだったね。
なぜこんな話になったかとゆうと、「みずから戦う監督」とゆうイメージでわが少年時代のAさんを思い出したからで。
独走態勢に入ったかに見える読売Gの原監督に「みずから戦う監督」のイメージを思い出したからでもある。
でももう時間がない。15:30までに出版社へ雑誌の校閲にいかねばならない。続きは夜、帰ってからね。