1.18  あの地震から15年居酒屋で「そして、神戸」を歌うおばさん | 短歌&野球

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ぼくのへたくそな短歌と、大好きなプロ野球についての感想を、日記形式でつづります。ぼくの個人的な経験も書いてしまうかもしれません。

きのうは阪神・淡路大震災から15年の日だった。

野の花の女性たちと居酒屋へいったとき、そのことを強烈に思い出した。

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「東灘区のおふくろのアパートが倒れた。おふくろは無事だったが、避難所生活で心筋梗塞の持病が心配だ。すぐ行ってやりたいが、給料日前で交通費もない」友人のYKから電話。それで、19日にYKと会い5万円をカンパした、と当時のぼくの「通信」には書いてある。あの地震災害に対してぼくができた唯一の支援だった。


おんぷ 神戸、泣いてどうなるのか 捨てられた我が身がみじめになるだけ

   神戸、船の灯りうつす 濁り水のなかに靴を投げ落とす

   そしてひとつが終わり そしてひとつが生まれ

   夢のつづきみせてくれる 相手さがすのよ


ぼくの「通信」にはこんなふうに書いてある。

「若い人は知らないでしょう。クールファイブのヒット曲『そして神戸』です。志木の飲み屋のカラオケでこの歌を泣きながら歌っているオバサンがいました。店中の客が一緒に泣きました。ぼくも泣きました。悪夢のような現実とはよくいうけれど、神戸市および近隣地域の被災の様子が見えてくると、世紀末のぼくたちの日常生活が「偶然」という薄いベールに覆われただけの、誰も守ってくれない生活であることがバレてしまった。これからは日本人の90%が『中流意識』をもっている、などということはなくなるのではないか。よい夢のつづきを誰がみせてくれるのだろうか。それはひとことでいえば『民衆が動く』ということしかありえないだろう」

と、なにか予言めいたことを書いていた。


そしてハイチでもっと大きな地震が起こった。小さな島国そのものを破壊するような大災害である。

死者は20万人を超えるのではないかと推測する人もいる。

ぼくに何ができるだろうか。



人は死ぬものなんだね、とつくづく思った。


ファイターズの一軍ピッチングコーチに昇格した小林繁が自宅で心筋梗塞による心不全で急死した。前日まで元気でコーチとしての仕事をしていたのに。江尻や糸数を育てた手腕は注目されて、今季は一軍コーチとして期待されていた。


小林繁といえば、79年の春、「形式的に」阪神に入団したエガワと電撃的なトレードで阪神に移籍させられたGのエースだった。あの事件で、ぼくは決定的にGとTがいやになった。スワローズしかない、と心に決めた。31年前のことである。


でもそのシーズン、小林はGに8勝くらいしている。カッコいいと思った。


桑田真澄の父親が浜松で自ら経営する喫茶店「18」(自宅でもある)で焼死したのにもビックリした。67歳。今では若死にだ。


さらにビックリしたのが、浅川マキの急死だった。




短歌&野球 小林繁とおなじような心不全による急死のようだ。


15日から17日まで3日間のライブを名古屋で行っていたのだった。16日夜のライブは快調にこなしていたとゆう。17日夜になっても、会場に姿を見せなかった。


ホテルの浴槽で息絶えていた。


「アングラ歌手の女王」といわれた。ぼくも若いころは聴きに行った。アングラの女王にふさわしいお顔と歌唱力の持ち主でした。


ぼくも、いつ突然死するか、わからないよね。