今週は26日の月曜だけちょっと遊んだけれど、あとはひたすら仕事だった。「だった」って過去形で言えない。2日午前中締め切りの2冊をかかえている。
28日(水)、K社にキリシタン殉教の本(新書)を納品した。これもけっこう大変だった。著者は近世日本史の東大教授だが、キリシタンには強くないらしく事実関係や聖書の読みにシロート的な誤りがあった。
すると「おかわり君」で自民党没落のデータ分析とゆう本のゲラを受け取った。図版データが満載でこれの内容が正確かどうか、それと本文の記載内容が一致しているか見ていくので、やたらと時間を食う。月曜(2日)午前中カエシ。
やれやれと取り掛かっていたら29日にM書房から、こないだやった「読書術」の再校ゲラを今からバイク便で送るから明日中に読んでくれ、と連絡アリ。オレを殺す気かと泣き、印刷屋と交渉してもらい、これも月曜午前カエシにしてもらう。
いま土曜午後3時20分。ようやくメドがついたところだ。
タイトルの牧水の歌は好きで、毎年いまごろになると思い出す。
ぼくも年のせいか、酒を静かに飲むようになった。というか、騒ぐ酒の人とは飲めなくなった。
喫茶店や居酒屋やBarなどで仕事をしなければならないこともある。
そうゆうときのぼくの天敵は老若男女のグループ客である。
若い男のグループとゆうのはあまりいないし、「草食系男子」とゆうのか、いてもうるさくない。でも、おじさんグループとおばさんグループ、それにギャルズもダメだ。「ガハハ族」とぼくは名づけている。
どうでもいい話(共通の知人をこきおろすとか)で盛り上がり「ガハハ」とみんなで大爆笑をくりかえす。5分に1回だったのがだんだん間隔が短くなり、しまいに全員が笑い転げるのが途切れないように、リーダー格があおり続ける。
グループで大笑いするのはよいことである。そこにいないだれかをスケープゴートにするのはいただけないにしても。ほかに話し合うべきことはないのかと疑問をもつにしても。仲良くしているのはよいことだ。
ただ、その音量がすさまじいので、数メートルの距離にいるぼくは仕事にならない、とぼくの都合をここで述べているだけである。「静かにしてください」なんて店の人が注意してくれるとうれしいが、ぼくからはけっして言わない。我慢するか帰るだけである。
野球本を読むなら、これをどうぞ。
1890円
この本をいただいたのは9月のまだ暑い日だった。だいぶ時間がたっているのに、この本があまり取り上げられないし、話題になっていないのが不思議だ。
不思議でもないか。古田はいま時の人ではないからね。それに、この本はよくあるスター選手や元スター選手の「マイストーリー」本ではない。また、ノムさんの多くの本がそうであるように、マイストーリーと人生論、組織論、野球論、監督論などをかみ合わせた本でもない。
この本は野球とゆうものを深く理解するための、おそらく最初の1冊としての「捕手論」なのだ。捕手たる者はどう考えて、どうプレイすべきかをはじめて体系的に考察した本である。
ノムさんが書けなかった捕手論である。技術的な基礎論が中心だからアマチュア野球指導者は必読。プロ野球を深く味わいたい人も必読。
小説で言えばノムさんの本が直木賞ものとすれば、古田は芥川賞ものをめざしているようだ。なので、ノムさんのこともほとんど触れられない。
やさしくて深いこと。たとえば第3章「捕球のコツ」で、自分はアマチュアだったころ、ミットの捕球面を投手に向けて、ミットの中の人差し指は12時の方向に立てて構え、車のワイパーのように扇状に動かして捕れと教えられた。しかし、自分から見て、人差し指を2時の方向にして、少し寝かせて構えるほうがよい、とゆうようなことだ。垂直に立てて構えると脇が閉まり手首が上がってしまう。すると低めの球を捕るときに上からかぶせるしかなく、いわゆる「虫取り」になってしまう。ミットを寝かせると脇が開き、下から球を捕れる。ピッチャーも気持ちいい。審判もストライクと言いやすい。
たとえば、こんなふうに説明されるわけだ。テレビで見る毎試合いくつもあるワイルドピッチやパスボールの場面を思い出す。捕手のミットの向きを。
次は打撃論だそうである。
自慢話でなく、超一流に達した男が伝える基礎技術論だから、真剣に読み、学習してしまう。
今夜から日本シリーズだ。慎之助に気をつければ、そして糸井が打てば、ハムが勝つ。
