9.15  ああ松岡雨のハマスタ9回裏サヨナラゲームぼくらも濡れた | 短歌&野球

短歌&野球

ぼくのへたくそな短歌と、大好きなプロ野球についての感想を、日記形式でつづります。ぼくの個人的な経験も書いてしまうかもしれません。

19日からのシルバーウィークに、ほとんど休みが取れない、と妻がゆう。21日からの広島旅行(カープ3タテの旅)を予定していたぼくはがっかり。


「Uさま、おひとりで行かれては?」

「そんなさびしいことを申されるでない」


それで15,16と横浜に一泊旅行することにした。


14:31志木発の服と新鮮副都心線地下鉄で渋谷へ。

15:15発のみなとみらい線直通の特急・元町/中華街行きに乗る。

16:00にはホテルニューグランドにチェックインしていた。


ここは戦後マッカーサー元帥がしばしば滞在したことで知られる老舗ホテルだ。


山下公園をぶらぶら歩く。「かもめの水兵さん」とか「赤い靴」の童謡の碑があった。A LITTLE GIRL WITH RED SHOES ON  の銅像はなにやらもの悲しい気持にさせられる。


「赤い靴」の女の子は「岩崎きみ」ちゃん。1902年(明治35)静岡県の生まれ。母親に連れられて北海道に渡るが開拓に挫折、3歳のときアメリカ人宣教師の養女となる。やがて宣教師夫妻はアメリカへ帰国することになったが、きみちゃんは結核を病んでいたため異国に渡ることが出来なかった。きみちゃんは東京麻布の孤児院に預けられ、そこで9歳で亡くなった。この物語をもとに野口雨情が作詞したのが「赤い靴」。


「日本大通り」の古い建物群を見物しながら歩く。

「横浜海岸教会」があった。これは日本最初のプロテスタント教会である。


それからちょっと行くと「電話交換発祥の地」の碑があった。1890年(明治23)から、横浜と東京市内の電話交換業務がはじまったらしい。


「Uさま、横浜には日本最初のってゆうのが多くありますね」

「お互いに感慨深いものがあるのお」


妻は学校を出て最初に就職したのは大手町の「東京番号案内局」=104番だったのである。


さて、ハマスタの灯りが見えてきた。雨がついにぽつぽつと降り出した。「松岡の涙雨か。今夜も9回に投げさせられるのかなあ」



短歌&野球 石川が投げて5-1とリードしたときには「8連敗でストップだ」と思ったよ。


神宮で何回かSAPPOROを買ったことのある女の子が、やはりSAPPOROを売り子してたからビックリ。目線の強い子なので目立つ。


ぼくらが座っているのは3塁側内野自由席¥2500である。


「神宮がない日はここでもやってるの?」

「はい。神宮とハマスタの中間に住んでますから」

「大田区とか?」

「いえ、神奈川です」

「川崎市だね」「はい。オジサンは?」「埼玉から泊りがけできてる」

「すごいすね。最近やばいすね」「今夜はなんとか・・・」


ならなかった。石川7回にくずれ、同点に。

5-5の同点から突き放せないツバメ。


9回裏に、高田劇場。松岡が出てくる。もう見たくない。

ジョンソンがサヨナラ打。


中華街でさびしい晩餐。ハマスタでいろいろ食ってるから、妻は五目焼きそば。ぼくはラーメンがないからチャーシューメン。これがアウトだった。中国人がつくる料理は苦手だ。メンが合わない。バーミヤンのラーメンのほうがうまい。


コンビニで「余市」500mlを1500円で買ってホテルに帰った。

出る前に冷蔵庫をのぞいたらヴァレンタインとかのブレンドウィスキーが50ml、1200円とかの法外な高価であったので、持ち込んだのだ。ぼくはモルトでないとダメだし。


ホテルのバーにいった。いい感じである。

妻は横浜では「ヨコハマ」を飲む。ぼくはマッカラン12年をシングルロックで。


若いバーテンダーが妻に「梅酒の香りがするウィスキーはいかがですか?」と響12年をすすめる。妻がぼくの顔を見る。「ぼくは飲んだことないけど、ウィスキー飲まない女性でもこれは好きだとゆう人が多い」と、微妙な発言。妻は「それじゃ、いただくわ」とゆう。


「Uさま、9連敗とはワーストでありますね」

「くるところまできました。明日からは勝つのではないか」

「その根拠は?」

「ないLESS」


バーテンダーも店長も野球の話が気になっているようだが、こちらからは話しかけないのでガマンしているようだ。

23:30のラストオーダーで、ボウモアを注文する。野球Barの3倍の値段だ。


「スワローズを追いかけて横浜まできましたが、負けました」と店長に告げると「あ、勝ちましたか」と満面の笑み。(お客様に対して失礼ではないかい? それは残念でしたね、とかふつう言いますがね。ここは横浜だから許しましょう)


「三浦を攻略したんですが、石川が抑えきれなくて・・・サヨナラ負けです」

「いやあ、そうでしたか。田代代行とわたしは幼馴染でしてね、3日前にも電話がありまして・・・」


さっさと部屋に戻ってくる。


「Uさま、さすがでありました」

「うん。あの店長、ぼくたちの話に入りたくて仕方なさそうだったでしょ。ベイ命と顔に書いてあったからね。ラストオーダーまで話しかけなかったんだ。あと30分早く話しかけてたら、5,6杯飲まされちゃうところだったよ」


ぼくは「余市」を妻は日本酒を味わいながら、しみじみする。(これ茨城弁で、いい感じである、とゆうこと)


夜が更けるまでたがいの仕事のことや娘のこと水戸の両親のことなどを語らった。



10:30に妻から起こされた。11:00チェックアウトである。シャワーして着替える。



短歌&野球 ホテルのまん前に(山下公園を挟んで)係留されている氷川丸に乗船見学¥200。


たっぷり1時間半を要した。ぼくが何にでも触りたがり説明したがるので、妻がほかの見学客の手前、恥ずかしがる。


戦前からの旅客船はもうこれしか残っていないだろう。祖父や伯父たちはこれに乗ってアメリカに渡ったのだ。



元町のFisherman’s Wharf(漁師の波止場)とゆう庶民的なレストランでワインを飲んだ。ぼくはパスタを食べた。妻は若鶏のなんとかソースを食べた。


「Uさま、いま何を考えているか当ててみましょうか?」

「いや、何も考えてはおらぬよ」

「きょうも野球見たいな、きょうは勝ちそうだし、でしょ?」

「でも、野球見てからでも帰れるけど、きみは明日早いのでしょう」

「わたしはこれで帰りますよ。でも、Uさま、もう一泊して明日帰ってらっしゃいな」

「(動揺しているが)それはないです。現地解散の夫婦の旅はいけません。今から帰って、18時からTBSニュースバードでベイ戦をテレビ観戦しますよ」


元町/中華街駅で15:25発の急行渋谷行きに乗ったのであった。



9連敗で止めた。高木啓充、26歳誕生日にプロ初勝利。五十嵐もイムチャンも帰ってきた。ぼくも帰ってきてよかった。



イーグルスも連敗ストップ。永井11勝。ノムさん采配ズバズバ。してやったり。ライオンに3差。