1.9  野茂英雄のように無口で完璧に仕事をこなす男でありたい | 短歌&野球

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ぼくのへたくそな短歌と、大好きなプロ野球についての感想を、日記形式でつづります。ぼくの個人的な経験も書いてしまうかもしれません。

プロ野球「毎日が名勝負」読本より


1月9日 1995年のこの日、メジャー入りを希望していた近鉄・野茂英雄投手の任意引退が決まった。


ロサンゼルス・ドジャースでメジャーデビュー、新人王獲得。2度のノーヒットノーランなど大活躍。2001年には日本人メジャーリーガーとして第1号ホームランを打っている。デトロイト・タイガース、ボストン・レッドソックス、タンパベイ・デビルレイズなどメジャーチームを渡り歩きメジャー通算123勝をあげた。日米通算201勝。しかし、その数字よりも、日本のプロ野球選手がメジャーで活躍できる最初の一歩をしるしたことの功績が大きい。また、純情だが無口で世渡りが上手でないことが彼の人気の秘密でもあった。


彼はどうしてもメジャーに行きたかったわけではない。近鉄バファローズにいたたまれなくなったのだ。最初の監督・仰木彬には可愛がられ、監督のためにとがんばれたが、次の鈴木啓示監督は野茂の投球フォームをいじろうとして、ことごとに対立した。「おれは近鉄でやりたいが、あの監督の下ではやれない」と金村義明にこぼしたとゆう。


いま、鈴木啓示(300勝投手)を尊敬する人はいなくなってしまった。「野茂は、あの変則フォームではいずれ勝てなくなる。そのときに俺にひざまずけるかどうかや」と言っちゃったからね。


イチローの新人時代にあの振り子打法を矯正すべく努力したのが、当時オリックス監督の土井正三である。

イチローは「1軍に上がりたくない」と土井指導を拒否した。イチローの2年間の2軍生活である。94年、仰木がオリックス監督になった。イチロー210安打である。土井は読売に戻ったらしいが、もうだれも土井のことを話題にしない。



7日に正月が来た

ぼくは7日にK文社で雑誌の仕事を終えると、年末年始のハードスケジュールから解放された。


映画にするかと迷ったが、やっぱり寄席だよと、池袋演芸場へ行った。


ガラガラだった。演者の話から三が日はどこの寄席も満杯だったと知れる。


ガラガラだからどうしても話す人は熱が入らない。3000円、えらく損した気分になる。でも、トリの小柳枝は気合が入っていたので、よしとする。


野球Barである。「社長」が隣に座る。このおしゃべり夜朗は俺より20年くらい若いんじゃないか。「大杉のあの疑惑のホームラン、相手の監督、あ、上田さんすか、怒ってましたね。あれ、小学生でぼく、ヤクルトファンで神宮に通ってましたよ、月に向かって打ての人でしょ、ぼくも、少年野球チームの監督から、月に向かって打てといわれて、どうするんじゃと思いましたね」。78年に小学生。それがなんで禿げアタマなんじゃ? 68年生まれとするといま40くらいか。ありうるな。で、今は阪神ファンなのだと。掛布世代だよね。


この社長の部下てのがいけない。F が日本一になったときにうれしくてユニのままこの店にきてはしゃいでしまった。ほかのお客様の迷惑なので出入り禁止の処分を受けた。


「野球と酒を愛する人のお店です」とマスターはゆう。俺は女も愛するとゆうと、「いけません」とマスター。「オクサマが水戸の実家に帰られていらっしゃる。これから志木のクラブに行こうと思ってらっしゃるでしょう。それは許しません」。おせっかいだなと思いつつ「わかった。まっすぐ帰るよ」とそれから2杯飲んだ。



8日。午後、水戸へ。くるま.