おとといは神宮球場で編集Ok氏と待ち合わせ、
スワ対ベイを観戦。最後はイムちゃんが九死に一生を得て4-1で勝った。
TAXIで新宿アルタ裏の「イーグル」へ。Ok氏に「仕事」を手渡し。
カウンター内に池袋・野球barのTくんがいたので、びっくり。「イーグル」は野球barの妹店なのだ。
ちなみにぼくはこの店に30年近く世話になっている。
イーグルスとは関係ない。
Ok氏とは「キリスト教」をめぐる情報交換だけでなく、全方位的な議論になる。
「攻めろ青木 広角打法のリードお不満オフマン・・・」とゆう応援歌をくちずさんでしまう
シンデレラタイムまで、飲み、語らう。
最後は「スワローズマティーニ」をふたりで飲む。彼は広島の人なんだけどね![]()
![]()
きのうときょうは、妻とぼくの「休日」が重なった(無理やり重ねた)ので、
ちょいと塩原へ行ってきた。
「かんぽの宿」が空いてなかったので、「ホテル塩原ガーデン」。
う~ん、安くて、いい
でした。
夜中に強い地震。ぼくは読書中だった
こわかった。
眠れなくなって、安冨歩の新刊『生きるための経済学』(NHKブックス 970円+税)をスイスイ読んでしまう。
おもしろくて興奮し、よけい目が覚めてしまう。
標準的な市場経済学の「非科学性」をみごとに暴いてくれた。
近代人は自由だとゆうとき、それは「選択の自由」があるとゆうことだ。でも、実はそんなことは実現不可能だ。
たとえば・・・
帰りの
で、ぼくが妻に説明する。
「1000円持っていて、スーパーに商品Aと商品Bがいずれも600円で売られている。選択肢は3つだ。Aを買う。Bを買う。どちらも買わない。Aを買ったとする。たしかに自由意志で選択したように見える。しかし、50種類の商品の中から2つの商品を選ぶとなると、なんと1,125,899,906,842,620の組の選択肢になる。これを1秒で1組ずつ検討してゆくと、3570万年かかってしまう」
「何ゆってんだか・・・わたしたちはスーパーで何かを買うとき、あらゆる選択肢のなかから選ぶわけじゃないわ。このマグロより、あのウナギかな、この夏まだ食べてないし、みたいな・・・」
「だから<選択の自由>ってゆうより、自由を強制されているのさ。あのウナギの広告チラシを今朝見てたとかさ。つまり、出発点は広告と食欲のめぐりあいだったりする」
「ああ、また、わかんなくなる。プロ野球でたとえて」![]()
「12の球団がある。わりと最近までプロ野球ファンの大半は
ファンだった。彼らは12の選択肢から自分の自由意志でGを選んだと<思い込んでいる>。しかし、テレビ中継をはじめメディアに現れる露出率=Gファン率とゆうほうが事実に近いと思うんだ」
「あら、そうゆうことなら、はじめからそうゆいなさい。GファンはGとスワと比べてGファンになったんではない。ちゃんと比べたらスワファンになる人が増える。だからGしか見ないようにする。これは選択の自由ではなくて、強制された自由だわ」
・・・・・・・・・・・・・・
きのう、SwaはBayに負けてしまった。また借金1。まあいい。明日からのG戦に勝てばよいのだ。
大嶺、プロ初勝利、おめでとう!
「日本を代表するピッチャーのダルビッシュさんと投げ合って勝てた。しかも石垣からいちばん遠い北海道で勝てたことがうれしいです」とゆうようなことを、ヒロインで語った大嶺。
この場面を何十回となく夢み、イメトレしてたんだろうね。![]()