1978年4月4日。後楽園球場。キャンディーズの解散コンサート。「普通の女の子に戻りたい」という彼女らの宣言は、そのときの時代の空気としても、ぼくにとっても強烈だった。その夜、ぼくは5万5千人のひとりとして後楽園球場にいた。野球観戦以外の目的で初めてスタジアムにいた。ぼくは「普通の若者」ではなかった。普通の若者になりたいと願っていたので、ここに来たのだと思った。
ぼくは物心ついたときに、まわりの大人たちがぼくのことを「神童」といっていることに気づいた。そして神童とはどういう意味であるかをわかっていた。5歳ころだ。
そんなことより「野球」のほうがぼくは好きなんだ、と思った。
以来、50年、変わっていない、それだけは。
小学校に入ると自分が勉強しなくてもいい成績を取れるとわかった。野球だけやりたいと思った。そうした。
中学生になった。勉強はしなかったが「本校始まって以来の秀才」とか言われた。どうでもよかった。ぼくは「野球の天才」ともいわれていて、そっちのほうが気に入ってたから。
・・・先輩のすすめでいま問題になっている「野球特待生」として某高に行く準備をしていた。母子家庭だった。母の苦労に報いるためには野球で高校・大学へ行き、プロ野球選手になりたいと考えていた。
そこでぼくの何かが壊れた。過労だった。中学校の野球部と地域の少年野球チームに属していたが、大人たちはうるさく「指導」するが、1円も金をだしてくれない。ぼくは朝は牛乳配達を早朝練習の前にして、夜は「英会話教室」や「ギター教室」を手伝って少しの収入を得た。それはチームのもつべきユニフォームやベースやライン引きなどの用具を買うためだった。
ネフローゼ症候群というやっかいな病気になった。野球どころか高校に通学することすらできなかった。死に掛けたこともあった。絶望した。グレた。もう何年も生きられないと思ったので、「革命家」になろうと思った。そうなった。・・・
1978年4月4日。「普通のオジサン」になりたいと思った。サヨクをやめた。「結婚」することにした。ミキ、ラン、スーの3人を足したような女性がいた。その人といっしょに暮らすようになった。30年たった。Gファンをやめた。
スワファンになった。この年、日本一になった。スワ一筋、30年、か。
走れ走れ! こうゆう野球がしたかった、見たかった。
スワ7回表の攻撃。相手はエース三浦大輔。ガイエル四球。宮本めずらしく送りバント失敗、ガイエル2封、宮本1塁。飯原四球。1死1、2塁。打者・福川。宮本は自分のミスを取り返したいと思っているよ、とぼくには予測できた。横浜バッテリーと内野陣はそう考えなかった。無警戒。初球、ダブルスチール、成功。1死2、3塁。福川レフトへタイムリーヒット。二者生還。
三浦をこのように攻略。四球2つと足攻め、ヒット1本で2点。これを下位打線でできる。
6試合で13盗塁。飯原ひとりで6盗塁。
スワローズ5勝1敗で、阪神Tと並ぶ。
カープ1勝に涙が出た。
試合経過はわからないが、とにかく鯉の片目が開いた。石原がヒーロー? らしい。よかった。
きょうからの広島・横浜戦は死闘になる。どちらも勝ち越して勢いをつけてGとスワにぶつかりたいところ。
Gが勝ったと大見出し!
Gが勝って今季初勝利。Gを応援したのは何年ぶりか。ドラゴンズの春の独走に一矢報いてほしかっただけ。そうなった。
でも、ケンシンの油断につけこんだだけ。6点とって逆転勝利だが、すべてホームランによるもの。
中身のない勝ち方。ガッツが2発。彼が毎試合2発、打てるわけじゃない。だから落合監督は微笑していられる。
ノムさん、笑いがとまらない。正直な人だ。
そりゃ、そうだよね。7連勝で、チーム4年目にして、初めての首位進出だもんね。
「出るべき人が出て、返すべき人が返して、エースがきっちり抑えて、負けるわけないでしょう」
ノムさん、よかったね。