忙しくて、それから『生きるの死ぬの』って言う人との応対に追われて、つい、日付を忘れてしまっていたようだ。
「あまりものじゃないからね」と娘がさっきチョコレートを3個ほどわたしにくれた。
「いくつになっても、うれしいかも」と受け取る。「義理チョコじゃないからね」と娘が念を押す。
「あたりまえだろ。ボクとキミは義理の父子でなく、実の父子なんですから」とわたし。
「はは、そうきたか。いつも、ありがとね、パパ」と娘。
よく見ると、3個のうち2個はロッテのガーナミルクチョコだった。よく見なくても、一目瞭然だった。これは義理チョコのあまりと推測できた。今年は不二家は使えないしね。
あと1個はメーカー不明のもので、After Eightとある。「大人のためのナイトチョコレート」だと。
これだけはわたしへのプレゼントと思いたいが、たぶんこれは「本命はずれ」ではないか。
バレンタインチョコはいまははやらないらしい。
Swallowsの青木がほしがっていたが、届いたのは数百個でしょ。そんなもんだろうと思う。
野球関連でいえばバレンタインチョコの「発案者」のロッテの監督がバレンタインというのが「できすぎ」で、たまたまなのに、
ロッテはそれでかえって損してるみたいだな。
義理チョコの山を見てため息ついたこともある。
「本命」はそのころはチョコという表現をとらなっかた。そのころもなにも、江戸の頃からそうだった。
わたしという男がほんとに迷うことがあった。それはチョコレートとはカンケイなかった。
愛をチョコレートで伝えられるなんて愚かな娘であってくれるな
これは短歌かな? 今書いただけだから、なんとも自己評価できない。
いつも、チョコレートをもてあましたぼくを、きみのおかあさんは、それもあなたへの厚意ですよと言って、
練り直してあなたへの「おやつ」としたことを憶えているかい。
わたしは「チョコレートラブ」を否定しない。でも、そんな媒介がなくても、「野球」にひかれるなら「野球」というふうに、人がどんなに生きづらくとも、立ち直る場所があると信じている。もう、チョコレートはいらない。