東大が第一志望だとすると、当然私大は早稲田か慶應、ということになる。

 

しかし、私は、東大以外の大学はどうでもよかった。東大を目指し始めてから、よくありがちな東大(ちょっと京大も)以外は大学じゃない!という高校生になってしまっていた。まだE判定しかとったことないのに!!

 

早稲田も慶應も付属校や指定校推薦があるということがひっかかった。若さゆえに潔癖で、学力勝負ではないところで入れるということがいやだった。あと、情報のない田舎故、付属校上がりはバカだといううわさもあった。(早稲田や慶應に中学や高校から行くことが非常に難しいということを知ったのはかなり後だったし、実際付属校上がりの早稲田や慶應の出身者に何人か知り合いがいるが、みな優秀であった)。

 

とくに慶應は好きではなかった。これもイメージに過ぎないのではあるが、金持ちが多いイメージがあったからである。地方の大卒ではない両親のもと、ふつーの家に生まれた私にとって、慶應はルサンチマンの対象以外の何ものでもなかった。

 

どちらかといえば早稲田の方がいいと思っていた。1990年代初頭は慶應と早稲田だったら断然早稲田の方が上であったし、バンカラなイメージが私に合っていると思っていた。

 

入試科目からしても慶應より早稲田だと思っていた。慶應は国語の代わりに小論文がある。東大はただでさえ多くの科目を勉強しなければならないから、小論文対策まで手が回らなかったので、普通に英国社3科目で受けられる早稲田の方がよいと思っていた。(しかし、これも若さゆえの浅はかな考えだったということが後に判明する。数学があったり(経済、商)、社会の論述があったりする慶應の方が東大の傾向に合っていた。)

 

ほかにも、これは今でもそうなのだがキャンパスも早稲田の方がよいと思った。慶應は教養が日吉、専門が三田であるが、日吉はともかく、三田キャンパスは狭く周りも学生街というよりはオフィス街で、学生向けの安い定食屋とかはない。他方で早稲田は、安い定食屋や古本屋(今ではかなり減ってしまったが)が多くあり学生街のいい雰囲気がある。

 

ただ、当時、早稲田は「学生一流、設備二流、教授三流」とか「卒業すると大成しない(有名人には中退した人が多い)」とか言われていて、勉強したいなら慶應の方がよいとも言われていた。つまり、早稲田の学生はポテンシャルが高いけど、勉強しない。確かに同じ高校から早稲田に行った中には、バイトとサークルに打ち込み大学に全然行かなくなって留年しまくっているやつがいた。1990年代を通して、慶應が早稲田を逆転していくが、その背景にはこういうことがあったのかもしれない。

 

以上、イメージと噂と偏見による、今風にいえばエビデンスのない、しかも文系に限った早稲田と慶應像であったが、当時このように思っていた人は多かったのではないだろうか(これもエビデンスのない憶測である)。

 

ちなみに、以上を読むと早稲田びいきに見えるが、実は、私は塾員である。