箕面忠魂碑訴訟(4) 忠魂碑についての控訴審判決(大阪高判昭和62・7・16) | 憲法判例解説

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箕面忠魂碑訴訟(4) 忠魂碑についての控訴審判決

 

箕面忠魂碑訴訟(最判平成5216

(4)忠魂碑についての控訴審判決判決

 

今回・次回と、箕面忠魂碑(慰霊祭)訴訟の控訴審判決を確認します。今回はその忠魂碑訴訟部分です。

 

控訴審判決(大阪高判昭和62716)忠魂碑訴訟部分

 

1)枠組み

 

第1審原告は、本件の忠魂碑のために土地を購入したこと、その土地を市遺族会に無償で貸したことが、

ⅰ)宗教施設であり、軍国主義思想を宣伝する施設である忠魂碑を維持する目的でなされたもので、憲法20条3項にいう宗教的活動にあたり、

ⅱ)宗教上の団体である市遺族会のために公金を支出したもので、憲法89条に反する、

ⅲ)宗教団体である市遺族会に対する特権の付与であり憲法20条1項に反する、

と主張しているので、以下、検討します。

 

2)本件の土地購入・無償貸与は憲法203項に反する宗教的活動か

 

戦前、神社神道が事実上の国教とされ、信教の自由が著しく侵害されるとともに、国家神道が軍国主義の基盤ともなりました。靖国神社は、教義上も組織上も、整然とした体系を持っていて、国家神道の中核となっていました。これに対して、忠魂碑は、もともと特定の宗教によるものではなく、内務省はこれを宗教施設とは考えておらず、忠魂碑前での宗教儀礼も禁止しようとしていたのですが、やがて戦争の拡大・激化によって戦没者も増えるとともに、愛国心・忠誠心の高揚をはかるために、軍国主義の精神教育として、忠魂碑を礼拝の対象とするようにされたわけです。

 

つまり、靖国神社は、もともと国家の宗教施策として国家神道を支えてきたものでしたが、忠魂碑はそうではなく、ただ、軍事施策上の観点から国家神道を助長する機能を与えられたものです。

 

ここまではまったくその通りで、いわば、民衆の素朴な戦没者への思いは、国家神道によって無理やり、軍国主義を支援するものとしてかたどられた、といえるでしょう。

 

敗戦後、神道指令によって、国家と神道の分離がなされましたが、その際には、軍国主義を支えた忠魂碑も撤去が指導されました。しかし、忠魂碑は、この際も、宗教施設とは考えられておらず、また、忠魂碑という名前だけでは軍国主義を宣伝するものとも考えられていませんでした。

 

また、講和条約発効後、政府が国家神道、軍国主義を廃止し、多くの国民もそれを支持している時期に、戦没者を記念する忠魂碑、慰霊碑など多種の碑や塔が、遺族団体等によって建立され、また、その前でいろいろな宗教の形式で、あるいは特定の宗教の形式ではなく、慰霊祭が行われることも多くなりました。これらは、戦没者の慰霊・顕彰の碑・塔は、特定の宗教にかかわるものではない、という認識と、過去の軍国主義を宣伝する目的のものではない、という共通理解によってなされたと考えられます。

 

ここでの控訴審の時代背景の理解には少し疑問がありますね。国家神道を占領軍の圧力で廃止させられた後も、国家神道の復活を願う政治家は多かったように思います。また、控訴審は、慰霊と顕彰を当たり前に並べて使っていますが、慰霊というのは、戦没者をしのび、その霊を慰めることであり、顕彰というのは、その霊が国家のために命を捧げたことを讃えることです。前者は、死者に対する素朴な思いですが、後者は、まさに国家神道の論理といえます。

 

本件の忠魂碑は、神聖な場所を象徴するつくりとなっていますが、これは死者に対して敬う自然な思いからうまれたことです。また、忠魂碑の移動にあたって、建築会社が費用を負担して、霊を移し変える祭儀を行いました。これは神式であったのに、遺族会会員は仏教用語で呼んでおり、そもそも、こうした儀式は、死者に関わる土木工事を行う業界の通例です。これらから、忠魂碑は宗教施設だとはいえません。

 

また、昭和41年に遺族会会長は、靖国神社の霊爾簿に似た、霊爾という木柱に戦没者の氏名を記載したものを忠魂碑の基礎に収めました。しかし、これは宗教上の手続きによるものではなく、しかも、遺族会会員にすら知らせず行ったことで、この霊爾が神体として礼拝の対象物とされたわけではありません。

 

また、慰霊祭が、忠魂碑の前で行われたことについても、これは荘重で厳粛な雰囲気を作るためのものであって、こういう例は忠魂碑に限ることではありません。

 

靖国神社は、明治天皇の「忠魂を慰めるために」神社を建てて祭祀をさせるようにとの言葉によって設立されたとされています。忠魂として靖国神社に合祀された戦没者について、彼らの慰霊・顕彰、追悼という世俗的目的で建てられた碑が忠魂という言葉を使ったからといって、忠魂碑と靖国神社とが不可分の関係にあるとはいえません。

 

以上、忠魂碑はもともと戦没者の慰霊と顕彰のためであって、軍国主義を支援する目的のものではありませんでした。これが、軍国主義の精神的基盤となった国家神道が形成・確立された時代に、軍国主義の精神的象徴に取り込まれ、結果、国家神道を助長する役割を果たしたにすぎません。

 

敗戦後はもはや国家神道は解体されたのですから、もはや忠魂碑が軍国主義に利用される心配はなく、もっぱら戦没者の慰霊・顕彰のための記念碑にすぎません。

 

ですから、忠魂碑は、軍国主義を宣伝するものとも、宗教的施設ともいえません。ですから、本件は、宗教的施設を維持するための行為ではなく、憲法20条3項にいう宗教的活動にはあたらず、違憲ではありません。

 

簡単に言えば、忠魂碑っていうのは、もともと国の宗教政策として作られた靖国神社とは性格が違うのですね。実際、戦没者の慰霊として、国が進めた靖国系の事業と、民間中心の忠魂碑系の事業は別のものであったことは事実であり、性格もかなり違うものだったようです。ただし、この二つは対立するものではなく、補完的なものというべきだったとは思いますが。

 

いずれにせよ、忠魂碑は共同体の素朴な追悼の思いから来ていることは事実です。そして、それが軍国主義に絡めとられて、軍国主義に役に立つようにされてしまったことも。だからといって、軍国主義がなくなった現在では、忠魂碑はかつてのような脅威はない、と言いきることは難しいとは思いますが。しかし、軍国主義やそれと結びついた国家神道の問題は、基本的には靖国神社の問題であって、忠魂碑の問題ではない、というのは正しいと私は思います。

 

もちろん、政教分離として何をどこまで認めるべきかは、以上とは別の問題です。この訴訟は、忠魂碑を排除する立場と擁護する立場の政治的な争いという様相があります。これは、政教分離の問題の特徴ともいえますが、これを裁判の場で、客観的に法律的な問題として取り扱う技術も必要だと思いますし、その点では、1審判決も控訴審判決もいささか政治的で問題が多いとは思います。

 

3)市遺族会は宗教団体か

 

日本遺族会およびその支部は、戦没者遺族の相互扶助、福祉の向上と英霊の顕彰を主たる目的として活動しています。これは特定の宗教に拘束され、または、特定の宗教を排除する趣旨で運営されているわけではありません。

 

ただ、英霊顕彰の事業として、国や国の機関が靖国神社が戦没者を公に祀ることを参与・監督し、財政的援助を与えることができることを求める、靖国神社国家護持の推進運動に参加しています。

 

このように遺族会は、宗教団体である靖国神社に関わってはいます。しかし、これは英霊顕彰の事業を遂行するための社会的儀礼を尽くす手段として儀式に関与しているだけであり、宗教儀式を通じて宗教上の教義をひろめ、信者を教科育成することを目的としたものではありません。

 

なんだか、このあたりはすごい理屈になっているのでフォローしきれるでしょうか。遺族会は、英霊を顕彰するために、靖国神社の国家神道の再興運動に関わっているけれど、それは宗教上の教義をひろめ、信者を教化育成目的ではないから宗教団体ではない、というのですね。かなり無理筋の理屈です。

 

また、靖国神社への参拝を企画、実行していますが、これは、靖国神社や神社神道の信仰を目的とするものではなく、戦没者の慰霊・顕彰の手段として、靖国神社を参拝することが組織の維持発展に有意義だからです。

 

憲法89条、201項後段の政教分離の規定は、信教の自由を直接保障するものではなく、国家と宗教の分離を制度として保障することによって、間接的に信教の自由を保障しようとするものです。ですから、国と宗教がかかわりあいを持つことをまったく許さない、というものではなく、国が特定の宗教団体に援助をしたことで、信教の自由を侵害する結果になることを防ぐためのものです。

 

だから、89条の宗教上の組織・団体、および、201項後段の宗教団体は、宗教的活動を目的とする団体のことであり、宗教的活動が本来の目的ではない団体が、本来の事業のために臨時または定期的に、宗教的行事にかかわる行為を企画実行したからといって、89201項後段の宗教団体等にあたるとはいえません。

 

遺族会の本来の目的は、戦没者遺族の相互扶助、福祉向上と英霊の顕彰であり、宗教の信仰・礼拝または普及等の宗教的活動ではありません。よって、遺族会は、89条・201項後段の宗教団体等にはあたりません。

 

ですから、本件は憲法201項後段・89条違反ではありません。

 

ここで制度的保障説が登場します。いわずもがなですが、ここでの制度的保障説は、政教分離幻想を緩めるために使われています。ここで、仮に、この制度的保障説を正当なものとしても、控訴審の論理は飛躍してることがわかるでしょうか。控訴審自身の考え方によれば、問題は、国と宗教のかかわりあいが信教の自由を侵害することに結びつくかどうかのはずなのに、いつのまにか基準が、団体の目的が宗教的なものかどうかにすりかわっていますね。このあたり、結構杜撰な印象がある判決です。

 

次回は、慰霊祭について控訴審の判断を引き続きみていきましょう。