津地鎮祭訴訟 (2)第一審判決(津地判昭42・3・16) | 憲法判例解説

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津地鎮祭訴訟(最大判昭和52713

 

 

事案は、津市の体育館の工事にあたって、市が建築予定地で神道の方式での起工式(地鎮祭)を行ったことが憲法203項にいう宗教的活動にあたり、この起工式のための公金の支出は、憲法89条の規定に反する違法な支出であるとして訴えられたものでした。第一審は津地方裁判所で行われました。

 

(2)第一審判決(津地判昭42316

 

もともと、わが国では建物を建てるときに、地鎮祭という名前で、今回と同じ式次第で昔から儀式をする習慣があります。

 

地鎮祭とは、建物を建てる土地の神様を祭って、工事が無事にできるように祈る祭りです。これは一見すると神道に特有の宗教的行事にあたるように見えるけれど、実体を考えたら、宗教的な性格はとても弱くて、宗教的行事というよりは、むしろ、習俗的行事といったほうが適切です。

 

以下、その理由を説明します。

 

日本では、開祖が明確で教義が体系的な近代宗教が成立する以前には、素朴な原始信仰がありました。そのうちの自然崇拝には、土地の神様の信仰というものも含まれていました。こういう原始信仰は、近代的宗教の成立展開によって表面上は消え去ったようにみえますが、習俗化された行事の中に残っているものがいくつかあります。

 

地鎮祭はまさにそのよい例だというのが民族学上の通説です。そう考えると、地鎮祭のもともとの理由は原始信仰だったのですが、近代的宗教が成立発展するにつれて、その信仰自体はあまり意識されなくなり、地鎮祭という行事、儀式だけが形式的に続けられているうちに、いつしか宗教的意識を伴うことなく、ただ建築を始めるには、地鎮祭をしないと形が整わないという意味で、習俗的行事として一般の国民が考えるようになったものです。

 

 

これってすごいですね。神社から苦情こなかったのかな。地鎮祭っていうのは、中身がなくて、ただの形式的なものなんだ、と言わんばかりです、っていうか、言ってます。それが事実かどうか、という争いはもちろん、この後、高裁で争われるのですが、まず、こんな言い方してしまうと神官の人とかに気の毒な気がします。裁判官の苦心はわからないでもないのだけれど、憲法違反ではない、と言う為に、ここまで言っちゃうのもどうなんでしょうか。

 

 

地鎮祭というのは、このように、国民が習俗的行事として受け取られ、かつ、行われているものですから、今回問題になった起工式も、例外であるはずがありません。主催した津市長も、参列したほとんどの人も、神道の教義の布教宣伝とはかかわりがなく、ただ工事が安全に行われることを願って、慣行に従って実施しただけなのは明らかです。

 

このように、本件での起工式は、見た目は神道の宗教的行事に属することは否定できませんが、実態をみれば神道の布教宣伝を目的とする宗教的活動ではもちろんないし、宗教的行事というよりは習俗的行事と表現した方が適切です。

 

ですから、この起工式は憲法203項に違反していませんし、公金の支出も、こういう起工式の性格とか、支出の額を考えると、特定の宗教団体を援助するための支出とはいえません。とくに、神官にしはらった4000円は、単に役務に対する報酬の意味しかないのですから、憲法89条や地方自治法138条の2に反するものではありません。

 

もちろん、公共団体が、公金を支出するというのは、住民から信託をうけて、住民のために行うことですから、憲法に違反する疑いが少しでもあるような支出はつつしむべきであって、その意味で、本件のような経費を公共団体の予算から支出することは妥当ではありませんが、この支出が憲法89条に違反する違法なものと断定するのは困難です。

 

 

第一審は以上のように述べて、地鎮祭を市が行ったことは憲法203項「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」の宗教的活動にはあたらないとし、地鎮祭にに対する公金の支出も、妥当とはいえないものの、憲法違反とは断定できないとしました。

 

本判決の問題点はいくつかありますが、次の控訴審が詳細に反論していますので、控訴審判決を見ていただいたほうがいいでしょう。