サンケイ新聞事件(最判昭和62・4・24) | 憲法判例解説

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サンケイ新聞事件(最判昭和62・4・24)


(1)事案


昭和48年12月2日、サンケイ新聞(現・産経新聞)は自由民主党の意見広告を掲載しました。


この自民党の意見広告は、他の新聞社が掲載を拒否した中で、サンケイ新聞及び日本経済新聞社のみが掲載に及んだものです。


日本で始めて意見広告が行われたのは、昭和40年11月16日といわれています。ただし、これはニューヨークタイムズ紙上に出されたもの。作家の開高健さんや小田実さんが中心になったべ平連がベトナム反戦を訴えました。このとき、日本経済新聞社以外の日本の新聞社は「政治的」な広告を出すことはできないということでした。


昭和41年には、日本の信濃毎日新聞(『信毎』)に、かなり大きな反戦広告が登場しました。私の知る限りでは、国内での意見広告はこれが最初ではないかと思います。


なお「週刊ビジュアル日本の歴史120号」(平成18年5月23日発売)には、昭和42年に、同じべ平連がワシントンポスト紙に出した意見広告(岡本太郎氏が「殺すな」と書いたもの)の復刻版を掲載していました。


この翌年昭和43年くらいから、日本の新聞社も、編集方針に反しない限度で意見広告の掲載に応じるようになっていきます。しかし、現在でも、たとえば、朝日新聞であれば、寄附用の口座番号の掲載はしない、などの様々な方針がありようです。


しかし、サンケイ新聞は、昭和48年9月から、どのような意見についても通常の広告よりも安く意見広告を掲載するようになりました。


そのせいか、近年でも、NHKに対するバッシングや、アバグループによる田母神論文の掲載など、かなり極端な意見広告が目立っています。


問題の自民党の意見広告は、日本共産党が翌年の参議院選挙向けに掲げていた「民主連合政府綱領案」と、党綱領との矛盾を、ゆがんだ福笑いの絵とともに指摘、批判したものです。


サンケイ新聞は日本共産党に対し、反論広告の有料掲載を申し入れますが、日本共産党は、この自民党の広告は新聞広告倫理綱領などに反することを指摘、サンケイ新聞に対し、無料の反論分掲載を要求しました。これをサンケイ新聞側が拒否、交渉は決裂します。


日本共産党は、サンケイ新聞の広告による名誉毀損を主張して、反論の無料掲載を求める仮処分を東京地裁に申請しましたが、東京地裁は、名誉毀損の不成立を理由に仮処分申請を却下しました。(東京地決昭和49・5・14)


そこで、日本共産党は、自由民主党による意見広告が、日本共産党に対して回答を求めたものであり、さらに、誹謗・中傷であって、国民に誤解と偏見を与えるものであるとし、反論の文章の無料掲載を求めて、訴えを提起しました。


(2)日本共産党の主張


1)表現の自由による反論文掲載請求権


本件の広告は、日本共産党について事実を歪めた批判を行い、反論をしなければ自民党の指摘の通りなのだと印象付けることを狙ったものです。このように、サンケイ新聞は、本件広告の掲載によって、日本共産党に対する国民の政治的信頼を傷つけ、政治活動を妨害し、自民党に反論する広告掲載の必要を生み出したものです。そして、サンケイ新聞は自紙への反論掲載によって、日本共産党の政治的信頼の毀損及び政治活動の妨害を回復・排除できる地位にあります。


また、公共の事項について一方的な攻撃・中傷のみが一般紙面に掲載され、これに対して反論掲載の権利を認められないならば、一方の側の見解のみが流布され、国民の知る権利も侵害されます。


ですから、憲法21条にもとづいて、反論の掲載を求めます。


現行法上も、放送法4条1項の訂正・取消放送の規定や、新聞倫理綱領の「弁明の機会」などから、反論の機会を与えることの根拠もあります。


2)人格権の侵害に基づく反論文掲載請求権


また、人格権の侵害については、単に不法行為上の損害賠償・回復処分のみならず、人格権に基づく差止請求権も認められます。


ここで原告側は、人格権に基づく差止請求権について、侵害行為を事前に予防するための妨害予防請求権と、妨害停止・排除請求権のことであると説明しています。通常、妨害排除請求権といえば、物権的請求権ですが、日照権など、人格権に基づく妨害排除請求権というものもありうるわけです。この妨害排除請求権は、相手方の故意・過失を要件とせず、権利の円満な実現が妨げられていることで生じるとされています。そこで、ここでの人格権に基づく請求も、相手の行為が不法行為と認定される必要がない、ということのようです。


さらに、日本共産党は、自民党による意見広告の金権支配と、低劣な中傷広告を既成事実として認めるがごときは国民の基本的自由尊重の観点からして到底許されない、としています。確かに、大新聞に意見広告を出すというのは、数百万円から数千万円の金額がかかることであり、金力のあるなしで、意見の優劣が決定されかねないところはあります。


ですから、名誉毀損の成否にかかわらず、人格権と反論権の条理によって、反論文の掲載の必要性と正当性は認められるべきです。


3)名誉毀損による反論文掲載請求権


本件広告の掲載頒布は不法行為を構成しますから、民法723条に基づき反論掲載請求権が成り立ちます。


(3)サンケイ新聞の主張


1)反論の掲載請求権は、あくまでも私法上の請求権であるべきであり、公法関係を規律する憲法上の言論の自由から構成することはできません。憲法21条の表現の自由は、国家がこれを侵害してはならないという自由権の規定です。ですから、憲法21条から私人である新聞社に「国民に知らせる義務」が生じることはなく、仮にあったとしても、それはあくまでも一般新聞事業者の公法上または社会上の義務であって、具体的関係における個別的な義務ではありません。


2)また、人格権に基づく妨害排除請求権については、この妨害排除請求権は、行為が継続して行われていることが前提ですし、違法な侵害行為の排除・停止に限られるべきです。一回限りの過去の掲載行為は、妨害排除請求権の対象とはなりえませんし、そもそも、反論文の掲載は、行為の差止以上の内容を求めており、妨害排除を超えたものです。これを、立法によらずして認めることは不可能です。


3)また、名誉毀損が成立したとしても、不法行為に対しては金銭賠償が原則であり、民法723条は、その例外として、いたずらに広く解釈すべきではありません。判例は、謝罪広告・取消広告によるものとして、反論文掲載請求権というのは認めていません。


4)さらに、このような反論掲載請求権を認めるならば、新聞は編集の自由を喪失し、新聞の自由と存立を破壊します。これは、反論請求の恐れのある事実に関する報道・論評の回避など、萎縮効果を持ち、間接的に、読者の知る権利を損なうものでもあります。


(4)一審判決(東京地判昭和52・7・13)


1)日本共産党の表現の自由に基づく反論文掲載請求権の主張は「理解できない」ものです。広告が名誉毀損でなく、被告に違法性がないならば責任もなく、被告は商品である広告スペースを提供する理由はありません。共産党は、事実上の不都合を述べるだけで、反論掲載を請求できる根拠を主張していません。


2)また、本件のような過去の一回限りの行為について、差止を求めるのは「不可解」です。


3)民法723条は、場合によっては反論文の掲載も含みます。しかし、名誉毀損は成立せず、この問題に立ち入る必要はありません。


控訴審(東京高判昭和55・9・30)において、日本共産党は、名誉毀損の保護法益とは別の方益として、「人格の同一性」という概念を主張します。そして、新聞が虚偽・不正確な事実を流布し、一般公衆の中に人格像に対する誤った認識が形成されることによって、この法益が侵害されるというわけです。


しかし、控訴審は、この「人格の同一性」について、特段の立法がなければ認めることはできないとし、その他は、一審とほぼ同様の構成で、共産党の主張を斥けました。


(5)上告審(最判昭和62・4・24)


1)不法行為が成立しなくても、反論文掲載請求権の主張は可能か。


憲法21条など、いわゆる自由権的基本権の保障規定は、国や地方公共団体の統治行動に対して、基本的な個人の自由と平等を保障することを目的としたものであって、私人相互の関係については、たとえ事実上、一方が他方に対し優越し支配関係がある場合でも適用または類推適用されません。(三菱樹脂事件、最大判昭和48・12・12)


以上から、当事者の一方が情報の収集、管理、処理につき強い影響力をもつ日刊新聞であっても、私人相互の関係において、憲法21条の規定から直接、反論文掲載の請求権が他方の当事者に生ずるものでないことは明らかです。


まず、最高裁は、三菱樹脂事件を引用し、私人間における憲法の直接適用を否定します。そして、憲法21条から直接、反論文掲載請求権を引き出すことはできないものとします。


上告人は、不法行為が成立しない場合でも、人格権に基づいて反論掲載請求権が成立する場合があるとします。民法723条は名誉毀損に対して、名誉回復のために適当な処分を予定していますし、人格権としての名誉権に基づいて、侵害行為を排除し、将来の侵害予防のための差止めを請求することができる場合もあります(北方ジャーナル事件、最大判昭和61・6・11)。しかし、これらは、人格権としての名誉の毀損による不法行為の成立を前提としたもので、上告人の主張するような、単に条理または人格権に基づいた反論文掲載請求権というものは認めることができません。


「人格の同一性」という概念も、同様に、法の規定なく、当然に反論文掲載請求権を認めうるような法的利益であるとは考えられません。


これは、憲法判断の枠組みの違いということで整理できるのではないでしょうか。共産党側の主張は、憲法的理念を、私人相互においても直接的に実現を目指すべきものと考えているように思われます。ですから、人格権(名誉権、「人格の同一性」)や表現の自由から、直接、サンケイ新聞に対し反論文掲載請求ができると主張するわけです。


しかし、最高裁は、間接適用説にたち、あくまでも私人相互の関係は私法によって図られるべきであり、この事案に関しては、不法行為法によって律するべきと考えているわけですね。ですから、不法行為が成立しない以上、憲法から直接に反論文掲載請求権を導くことはないわけです。


(今回のような意見広告だけでなく)新聞の記事によって名誉が侵害された場合でも、その記事によって名誉毀損の不法行為が成立しない場合は、不法行為責任を問うことはできません。


新聞の記事に取り上げられた者が、その記事によって名誉毀損の不法行為が成立するか否かとは関係なく、ただ自分が記事に取り上げられたというだけの理由で、新聞を発行・販売するものに、記事に対する反論を、無修正で無料で掲載することを求めるというような反論権の制度は、確かに、記事によって名誉を傷つけられ、プライバシーに属する事項について誤った報道をされた者にとっては、名誉やプライバシーの保護に資するものではあります。


つまり、私法を媒介とせず、憲法上の人格権から、直接、反論文掲載請求権を導き出したとするなら、それは、その権利を主張する側、つまり、名誉やプライバシーを主張する側には都合がよいわけです。


しかし、一方で、この制度が認められた場合、新聞を発行・販売する者にとって、記事が正しいと確信していたとしても、あるいは、反論の内容が編集方針によっては掲載すべきでないものであっても、掲載を強制されることになり、本来ならば他に利用できたはずの紙面を割かなければならない、という負担を強いるものです。


このような負担は、公的事項に関する批判的記事の掲載を躊躇させ、憲法の保障する表現の自由を間接的に侵す危険につながるおそれも多分に存します。つまり、反論権の制度は、民主主義社会において極めて重要な新聞等の表現の自由に対し重大な影響を及ぼすものです。


つまり、権利を侵害されたとする側の言い分から、憲法上の権利を直接に私人相互の関係で主張できるとした場合、対立利益である、一方の私人の権利が侵害されることがありうるわけですね。


本件においては、民主主義社会において重要な、新聞の表現を萎縮させる可能性があるものなわけです。


ですから、たとえ、日刊全国紙による情報の提供が一般国民に対し強い影響力を持ち、その記事が特定の者の名誉やプライバシーに重大な影響を及ぼすことがあるとしても、不法行為が成立する場合以外に、具体的な成文法なく反論権を認めるに等しい反論文掲載請求権を認めることはできません。


なお、放送法四条の定める訂正放送の制度は、その要件、内容等において、いわゆる反論権の制度や、反論文掲載請求権とは著しく異なるものです。



2)本件において、不法行為は成立するか。


表現行為により名誉が侵害された場合には、人格権としての個人の名誉の保護(憲法13条)と表現の自由の保障(同21条)とが衝突し、その調整を要することとなります。


民主制国家にあっては、公共的事項に関する表現の自由は、特に重要な憲法上の権利として尊重されなければならないものです。この表現行為が公共の利害に関する事実に関するものであり、その目的が専ら公益を図るものである場合には、当該事実が真実であることの証明があれば、表現行為による不法行為は成立せず、また、真実であることの証明がなくても、行為者がそれを真実であると信じたことについて相当の理由があるときは、故意又は過失がないと解すべきであり、これによって個人の名誉の保護と表現の自由の保障との調和が図られています(北方ジャーナル大法廷判決)。


政党は、それぞれの党綱領に基づき、言論によって主義主張を国民に訴え、支持者の獲得に努めて、これを国又は地方の政治に反映させようとします。そのために互いに他党を批判しあうことも当然で、政党間の批判・論評は、公共性の極めて強い事項に当たるものです。ですから、表現の自由の濫用にわたると認められる事情のない限り、専ら公益を図る目的に出たものと判断すべきです。


政党間の批判や論評は、もっぱら公益目的のものだと判断すべきだというわけですね。それはその通りだと思います。そのしばりは、表現の自由の濫用にわたると認められる場合ですね。そこで、表現の自由の濫用にわたるかを検討することになります。


本件広告は、自由民主党が上告人を批判・論評する意見広告です。その内容は、上告人の「日本共産党綱領」(以下「党綱領」)と「民主連合政府綱領についての日本共産党の提案」(以下「政府綱領提案」)における国会、自衛隊、日米安保条約、企業の国有化、天皇の各項目をそれぞれ要約して比較対照し、歪んだ福笑いのイラストとともに、その間の矛盾を指摘、上告人の行動には疑問、不安があることを強く訴え、上告人の社会的評価を低下させることを狙ったものです。


党綱領及び政府綱領提案の要約及び比較対照の仕方において、必ずしも妥当又は正確とはいえないものもありますが、引用されている文言自体はそれぞれの原文の文言そのままであり、要点を外したといえるほどのものではありません。


本件広告は、政党間の批判・論評として、一般国民の判断に訴えかけるものです。ですから、これは公共の利害に関する事実にかかり、目的も専ら公益を図るものといえます。また、本件広告は、全体として、上告人の社会的評価に影響を与えないとはいえませんが、政党間の批判・論評の域を逸脱したものとまではいえません。このことも考慮すると、前記の要約した部分は、主要な点において真実であることの証明があったものとみて差し支えなく、本件広告によって政党としての上告人の名誉が毀損され不法行為が成立するものとすることはできません。


ですから名誉毀損の成立を否定した原審の判断は、その結論において正当として是認することができます。



(6)補足


フランスやドイツにおいては、反論権というものが法定されています。


ドイツでは、マスメディアによって伝えられた自己に関する事実が誤っている場合、本人による反論の掲載請求を認めています。またフランスでは、誤った事実のみならず、マスメディアによって批判的な意見を書かれた者についても、反論文の掲載を認められています。


日本においては、表現の自由の消極的性格を強調する樋口教授や、マスコミの表現が萎縮する可能性を指摘する阪本教授のように、反論権を認めない立場も一般的であり、芦部教授なども国家が表現の自由にかかわってくることを「危険」と考えていたようです。


しかし、奥平教授などは、自由で豊かな情報空間の創出という点から、反論権を社会全体の利益から要請されるものとします。右崎教授も、同様の主張をしていますし、私見では、長谷部教授の「公共財としての表現の自由」という考え方も、奥平教授の見解の根拠となりうるものに思われます。


マスメディアを、一私人としてではなく、むしろパブリックフォーラムのようなものと考え、そこへのアクセス権を認めるべきとする考え方も十分検討に値するものと思われますし、その意味で、この判例はまだまだ研究される余地があると考えています。