富山大学事件 その2 関連判例(1)米内山事件 | 憲法判例解説

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富山大学事件(最判昭和52・3・15)では、下級審では国立大学の内部において、特別権力関係であるとしているわけですが、最高裁は、これを採用せず、大学は国公立・私立問わず、特殊な部分社会を形成しているとしました。


この部分社会論は、もともと、米内山事件(最大決昭和28・1・16)における田中耕太郎補足意見にはじまるといわれています。そこで、まずは米内山事件を確認しておきましょう。


米内山義一郎氏、この方は、八戸で反核運動などを推進した元社会党衆議院議員、地元では上北の義人と言われているそうですが、いわゆる米内山訴訟を起こされた方でもあります。


この米内山氏が、社会党の県議時代に、県議会で、
「私は諸君らのように利権がほしくて議員になったのではない」

と言い放っちゃったわけです。


図星を突かれて頭に血が上ったのか、他の議員らは怒って、米内山氏を県議会から除名する議決をしたという事件がありました。


米内山氏は、これに対し、除名処分の執行停止を求めたところ、一審はこれを認め、本訴である除名処分取消請求事件の判決が確定するまで、処分の効力の停止を決定しました。


ところが、それに対し、内閣総理大臣は当時の行政事件訴訟特例法に基づいて、決定に異議を唱えました。


これに対し、一審は、この異議は不適法な異議であるとして、さきの停止決定を取り消さない決定を行いました。そこで、これを不服とする県議会が特別抗告したという事件です。


ややこしいでしょうか?まとめると、


米内山氏の「暴言」 
⇒ 県議会が米内山氏の除名処分の議決 
⇒ 米内山氏、執行停止を求める 
⇒ 一審、執行停止決定 
⇒ 内閣総理大臣、異議を唱える 
⇒ 一審、内閣総理大臣の異議を不適法として、執行停止を取り消さないことを決定 
⇒ 県議会はこれを不服として特別抗告


と言う流れです。


そして、最高裁は、大法廷でこれにつき次のように述べました。


行政事件訴訟特例法10条2項ただし書は、裁判所は申立に因り又は職権で、決定を以て、処分の執行を停止すべきことを命じることができる。但し、内閣総理大臣が異議を述べたときはこの限りでない、とあります。


これは、内閣総理大臣の異議がのべられたときは、裁判所は、執行停止の決定をするべきではないということで、すでに、執行停止の決定が行われた後の異議についての規定ではありません。


つまり、


内閣総理大臣の異議 ⇒ 執行停止の決定はできない。

のであって、

執行停止の決定 ⇒ 内閣総理大臣の異議

これは不適法な異議であって、決定を取り消す必要はない、ということですね。


最高裁はこういって、一審の決定を支持したわけです。


で、このとき、裁判長裁判官、田中耕太郎判事が少数意見を述べました。


田中判事は、そもそも地方議会議員の除名に対して裁判所が執行停止を命じることができるかどうかを論じ、本件の除名処分は、議会の内部規律の問題であって、議会自体の決定に委ねるべきで、司法権の介入の範囲外だとしました。


そして、田中判事は、この理由として、彼の従来からの基礎法学上の主張である法秩序の多元性を主張します。


つまり、国家の中のそれぞれの社会、例えば公益法人、会社、学校、社交団体、スポーツ団体などが、それぞれの法秩序を持っていて、その特殊的法秩序は国家法秩序とある程度の関連があるものもないものもあるわけです。その関連をどの程度のものにすべきかは、国家が決定すべき立法政策の問題としたわけです。


そして、地方議会や国会における懲罰事件については、その事由の当否や制裁の当不当をいちいち裁判所に訴えて争うことができるとすれば、裁判所が議員の除名問題についての最後の決定者になってしまうといいます。


ですから、地方議会の懲罰については、国会と同様、議会自体が最終決定者であるべきであるとします。仮に、多数者が横暴に振舞って少数者を不当に制裁したということがあったとしても、その当不当は政治問題であって、違法の問題ではない、というわけです。


ところで、このとき、田中耕太郎判事は、面白いことを述べています。それは、懲罰の種類が戒告や陳謝、出席停止などの場合と、除名を区別するのは理論的ではないというのです。それは、大学の学生に対する退学処分を、譴責、停学などと同様に大学の内部規律と認めるのと同じだ、と述べています。つまり、田中理論で考えると、富山大学事件においても、単位取得の問題と専攻科修了の問題は分けて考えるべきではない、ということになりますね。


そして、田中意見は、次のように言います。


要するに、裁判所は、国家やその他の社会の中に「法の支配」を実現する任務を負担していますが、それには一定の限界があります。法規の制約がある場合でも、法規の要件を充足するかどうかが、その社会の自主的決定に一任されている場合は介入できないのです。裁判所が関係する法秩序は一般的なものに限られ、特殊的なものには及びません。本件は、司法と行政の限界の問題として現れていますが、より根本的な法秩序相互の関係の問題に関連しているもので、除名問題については、裁判所は裁判権を有さないのです。


これに対し、真野毅裁判官は、激しく反論し、

いくら空疎な法秩序の多元性を力説してみたところで、違法な除名処分が裁判所に出訴できないという理論の基礎付けにはならないことは明白、

と言っています。


その後、昭和35年の板橋区議除名処分事件上告審判決(最大判昭35・3・9)においても、田中耕太郎判事は、斎藤悠輔・下飯坂潤夫とともに以下のように補足意見を述べました。


法律上の争訟は国家秩序に関するものを指し、社会における一切の法規範を網羅するものではありません。刑罰にいたらない懲戒処分に関しては、(それぞれの特殊)社会が規範を自由に立法し、解釈、適用することができます。そして、これについては裁判所は審査権をもっていないのです。


そして、同年の10月になり、多数意見が始めて部分社会の法理を取り入れた判決が現れます。次回は、この村会議員出席停止事件について解説します。