今日は。

私は埼玉県の国語教員で、2012年から、東京書籍Eネットに「高校国語マル秘帳」「国語入試問題+αの風景」という投稿連載を行っていました。

ところがEネット、紙面刷新で編集方針が変わり、私のコーナーもなくなってしまいました。

ついては、ブログをはじめ、拙稿を載せていきます。

 

今回は、埼玉県の別学高校(男子校、女子校)の共学化問題です。

 

 

    埼 玉 県 高 校 共 学 化 狂 騒 曲

 

春の夜の大山鳴動夢うつつ

 二〇二三年(令和五年)八月、埼玉県男女共同参画苦情処理委員会(条例に基づく機関、弁護士等三名)は埼玉県教育委員会教育長あてに勧告書を提出した。きっかけは、前年出された一本の苦情である。勧告書の「申出の趣旨」によると、「埼玉県立の男子校が女子であることを理由に入学を拒んでいる事。女子の入学は当然認められるべきだ。女子差別撤廃条約に違反している事態は是正されるべきだ。」というものである。

 それを受けての勧告である。男女別学であることがそのまま女子差別撤廃条約違反とはいえないが、男女共学が奨励されており(ここはその後「男女共学その他の種類の教育が推奨されており」と修正された)、男女の役割についての定型化された概念の撤廃が求められ、共学化の早期実現が望まれる。また、別学校における教員、管理職の男女数差や、学校目標として、男子高は「リーダー育成」を多くが掲げ、女子高では「地域に貢献」を多くが掲げており、この違いも勧告書は問題視している。また、私立学校での別学の存在はあるが、県立高校は公立の、公費で運営されている学校であり、共学化すべきであるというのが概略である。

 埼玉県の県立高校共学化については、二〇〇〇年、二〇〇一年(平成十二年、十三年)にも苦情が出され、二〇〇一年勧告、二〇〇二年教育委員会報告書(回答)が出された。この時は、各別学校の強力な反対運動があり、「本県の別学校は、長い歴史と伝統を持ち、県民の高い評価と在校生、卒業生、保護者、あるいは地域住民の根強い愛着があり、強く支持されている」として、共学化を進めていくとしながらも、早期共学化を行うことは否定した。

 今回、二十年ぶりの問題再燃である。

 

生身魂身振り手振りの法螺話

 男女別学高校の一律共学化には、宮城県の先例がある。宮城県では県立高校将来構想委員会が、二〇〇〇年(平成十二年)、教育委員会に対して全共学化をすべきと報告した。宮城県知事浅野史郎はこれを推進し、後任の村井知事時代の二〇〇七年から二〇一〇年(平成十九年から二二年)にかけて、県内のすべての公立別学校は共学化した。この経緯について、私は十分理解していない。だが、この時期埼玉県でも様々な模索があった。

 一九九二年(平成四年)、竹内埼玉県教育長の「偏差値追放」の一声により現場は当惑混乱し、日本中の注目を浴び、鳩山邦夫文部大臣の「脱偏差値」の指示命令となった。その後様々な旗振りがあった。一九九四年から埼玉県の全校での推薦入試が始まるが、二月上旬に合格が決まる推薦入試は面接と調査書による選抜であり(要するに「脱偏差値」)、学力低下を招いた。そのため、二〇〇二年には推薦入試での「総合問題」が始まり、二〇一〇年(平成二二年)には、筆記試験による前期試験(五〇〇点満点、定員の七五%)と後期試験(三〇〇点満点、定員の二五%)という学力重視型に戻った(現在は二月末の一般試験のみ)。二〇〇〇年前後、首都圏での「お受験」が一般化し、私立学校との競合に腐心し、「○○コース」「△△学科」が新設されたのもこのころだった。また、団塊ジュニア世代以降の少子化も、確実に高校に迫っていた。

 一般に、少子化により、生徒募集が困難となり、共学化するという例がいくつもある。宮城県もその例に漏れないだろう。そもそも、ほぼ仙台市に限られた学区に、仙台一高、二高、三高という男子校、宮城一女、二女、三女という女子高というように、六つの別学校があるのは、長い伝統を誇るとはいえ無理があっただろう。そのためか、共学化は、学区制の廃止等とセットになって行われた。宮城一女は単位制へ移行し、宮城二女は公立中高一貫校へと変化した。この改革には知事である浅野の強いリーダーシップが不可欠であったろう。「強いリーダーシップ」と書いたが、浅野は自分で「性格的にも変わり者的な部分はある」と言っている(二〇〇九年の講演「走りながら考えたこと」)。そして、そのような性格だからこそできたとも、個人的に思う。

 

学ランの女子の鼻すじ青嵐

 さて、埼玉県である。

 発端となった苦情だが、これは苦情だからきわめて個人的だ。問題はそれを普遍的に取り上げることができ、公的機関に勧告すべきかどうかだ。

 苦情は、男子校になぜ女子が受験、進学できないのか、ということであり、私は、端的に、県立浦和高校に私(女子)も受験したいし、「浦高生」になりたい、というものと捉えた。「女子差別撤廃条約」への言及もあり、男子がなぜ、たとえば浦和一女を受験できないのか(差別であり不公平だ)という視点は希薄なように感ずる。

 今回、二〇〇二年同様、別学校の生徒、同窓会を中心に反対運動がおこった。別学校は、県内の公立高校一四四校中十二校であり、多数なわけではない。中学時代の心の傷や嫌な体験等があり、別学校に進めてよかった、という声も少なくない。多様性ということであれば、多数の共学校以外に別学校という選択肢があるのは良いことだという意見も多い。県教委が行ったアンケート結果だが、中学生は、共学化、別学存続、「どちらでもよい」が五六、二%であり、共学化賛成、別学存続賛成はともに十九%前後である。総じて、「どちらでもよい」がほとんどだと見ても大きな間違いはなかろう。それに対して高校生は、別学存続賛成五七、二%、「どちらでもよい」三三、二%である。共学化賛成は七、八%である。別学校生は、おおむね自校に満足し、誇りを持ち、共学校生も自校に満足しつつ、別学校の文化や伝統を身近に感じ、その存在を尊重しているのではなかろうか。

 埼玉県の、この「騒動」に対し、税金で運営される公立高校に今でも男子校、女子高があるのかと驚いた、とか、所詮、アタマのいい奴ら(別学校はいわゆる旧「ナンバースクール」と言われる学力上位校が多い)の既得権を守ろうとする行動だ、といった冷ややかな声も多い。だが、新聞、テレビの論調は、公平に意見を取り上げ、埼玉県で別学校が残った歴史的経緯を伝えつつ、別学校で救われたという声の存在を伝え、多様性の観点から共学、別学という選択肢を残す必要性などを説き、おおむね、一律共学化に疑問を呈するものが多かったと思う。そもそも、苦情委員会の勧告にも、別学校の存在が差別撤廃条約に違反するわけではないとある。管理職の男女数差も取り上げていたが、それと別学との関連性は明らかではなく、勧告そのものに疑問を呈する向きもあった。

 

 男子校になぜ女子が受験、進学できないのか、という不満。端的に言えば、私も浦高に行きたいという不満。このような不満を抱く女子がいるであろうこと、私は理解できる。

 浦高は東大進学者が毎年五十人前後(現浪あわせて)、運動部、文化部とも全国大会出場の部活動があり、文化祭や強歩大会等、伝統が育んだ独特の文化、学風がある。学力が高く、元気な女子が「浦高」に行きたい、と思うのは理解できる。浦高に限らず、熊谷高校、川越高校、春日部高校といった、明治時代から続くナンバースクール(浦高=埼玉尋常第一中学、熊高=二中、川高=三中、春高=四中)の男子校は、伝統が育んだ独自の伝統と文化があり、進学実績もあり、ここへ進みたいと思う、学力が高く元気な女子がいるのは想像できる。共学校の話になるが、不動岡高校の応援団は、部員不足で廃部の危機に見舞われた。そこで、二〇〇八年(平成二〇年)女子の入部を解禁し、翌年には初の女性団長が誕生している。「学ラン」姿の「蛮カラな男くささ」を象徴するような応援団とその団長が、男子から敬遠され、むしろ女子が担うのである。二〇二四年現在の団長も女子である。

 それに対し、たとえば浦和一女を受験しようという男子像を、私は実感的に想像することができない。共学化されれば、旧女子高は凋落し、旧男子校がパワーアップし、特に浦高の独り勝ち状況になるのではないか、というのがこの時点での私の予測であった。

 別学校は、ナンバースクールの男子高と、それに匹敵する女子高(浦和一女、熊谷女子、川越女子、春日部女子)だけではない。また、前述の少子化、生徒募集難の波はここにもあり、入試倍率が一倍を切る高校もある。松山女子高一、〇四倍、松山高校一、〇二倍、久喜高校一、〇四倍、鴻巣女子高校〇、九二倍、熊谷女子高校〇、九九倍、熊谷高校一、一一倍といった高校は生徒募集に苦戦しているだろう。

「生き残り」のため共学化を望む高校も何校かあるようであり、そのため、同窓会による「反対運動」も各校により温度差があると報道された。

 「浦高」に入りたい女子に戻る。そこには、進学実績、平たく言うと、東大進学実績の数字が絡む。

県立浦和(男子高)、大宮(共学)、浦和一女(女子高)の三校を、塾などは「県立御三家」という。東大合格者数でいうと、今年、浦高四四人、大宮十七人、浦和一女二人である。一女の少なさが目に付く。東大志望の女子がいるとして、ここに焦燥を感ずることはあるだろう。共学校の大宮にしても、数字的には劣るし、何より、埼玉県民にとって「浦高」の威光は突出している。

 私は、一女、浦高、両方の勤務経験がある。

 一女は、女子高として、力仕事も何でも自分たちで行う。異性の目を気にすることもないし、何事も自分たちで行い、先輩、後輩関係も良好である。女子高の存在意義を証明するような学校である。ただ、女性に対する日本社会の視線の関係か、皆が東大受験を志望するわけではない。それに対して浦高は、全員が東大を受験するような雰囲気がある。コロナで登校禁止となる以前は、「二四時間営業」のように深夜でも生徒が在校し、生徒同士で勉学に励みあった。文化祭や体育祭、スポーツ大会、漢字大会、将棋大会、強歩大会、臨海学校等の行事がひしめき、巨大かつ強力な磁場が渦巻いている。この学風が進学実績を生み、そのような強力な磁場に身を置きたいと思う女子がいるのは、私なりに理解できる。

 しかしその思いが正当か不当か、吉と出るか凶と出るかは、評価に苦しむ。

 丸山眞男の「『である』ことと『する』こと」という評論に、「非近代的」(近代化されるべきところに封建的要素が根強く残っている)「過近代的」(近代化の行きすぎ)という対比が出てくる。男子校であるから女子は入学できないというのが「非近代的」なのか、浦高も共学化するべきだというのが「過近代的」なのか、評価は難しい。また、前述のように、共学化されれば、旧女子高は凋落し、旧男子校がパワーアップすると予想される。それが、男女共同参画苦情処理委員会の望む結末なのかは、私にはわからない。

 

 東京都では高校入試において、一九六七年(昭和四二年)から学校群制度が導入された。

 たとえば都立日比谷高校(当時東大合格者一八一人)に進学したいと思った場合、直接日比谷高校を受験できないのである。日比谷高校、三田高校、九段高校の三校で第十一学群となり、「合格」しても日比谷ではなく、三田あるいは九段に割り振られることもある。もちろんその逆で、日比谷に割り振られることもある。自分の意志で進学先を決め、挑戦できないし、進学先がどこになるのかわからないのである。高度経済成長期で国民生活は豊かになっており、当然のことながら公立(都立)離れが起こり、学力成績優秀な生徒は、多く私立高校に受験先を変えた。

 一九六七年上期の芥川賞は庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』であった。その中で、主人公の「ぼく(薫君)」は学校群になる前最後の日比谷高生(三年生)だということで出てくる。一、二年生は「学校群世代」であり、その状況を「ぼく」は次のように語る。

 

 日比谷高校は世間から東大入試の総本山と見られており、生徒はもちろん全員大学進学希望で、東大志望者も多数いる。しかし、考査は年二回しかなく、テスト成績の発表もない。クラブ活動も盛んで生徒総会も活発だ。自主的な演奏会や雑誌発行も行われている。皆受験を意識していながら、そのようなことはおくびにも出さず、受験戦争どこ吹く風といった顔で、戦後民主主義の理想のような姿を演じている。だが、世間で受験が話題になり、そのことに全国の若者が頭を悩ましているのに、それを無視したかのような振る舞いは、傲慢さの表れであり実は許しがたいエリート意識の為せる業だ。それは大インチキ芝居だ。

 学校群生が入学してくることによって、このインチキ芝居は終わりを迎える。生徒の自主活動は受験に無駄であり、クラブ活動も生徒総会も低調になる。「勉強がありますから」といって下級生はさっさと帰るようになる。「要するにお芝居はやめよう、キザなインチキはやめて、受験生は受験生らしく素直に受験勉強に邁進しようということなのだ。」

 そして、「ぼく」はこう思う。

 日比谷のインチキ芝居は実にがっちりと堅牢に見えた。しかし、「勉強があるので帰ります」という言葉によって崩れる、脆いものだったのだ。このような学校は潰すのは簡単だ。しかし、これをまた作ろうと思っても絶対に、ちょっとやそっとでは出来はしないものだったのだ。

 

 浦高の「文化」と日比谷の「文化」は大いに異なる。昭和と令和の時代差も大きい。しかし独自に発達した、唯一無二のものであることは共通する。日比谷の文化が失われたのと同様、浦高もまた共学化すれば文化が変質するのは免れない。日比谷は東大合格者一人にまで減るが(一九九三年)、現在六十人にまで復活している。

 浦高もまた、女子が入学すれば、「他者」を取り込み、アウフヘーベンして、新たな文化を創出しつつ進み続けると思う。

 

廃校や空蝉の目の影たしか

 勧告に対する県教委の回答期限は二〇二四年(令和六年)八月三十一日である。

 八月二二日(木)午後、県教委の回答骨子が速報され、翌日の新聞は大きくこれを報じた。埼玉県教育委員会が主体的に共学化を推進する、というものだが、いつまでに、どの学校を対象に共学化するかという具体性はなかった。「主体的に共学化を推進」という文言が踊り、アクセルを踏んだように見える。勧告受け入れである。だが、「主体的に」と「積極的に」とは異なるし、別学全校が対象なのか、その工程表はどうなっているのか、という具体性はなく、その意味、実質的には反対派の要求を入れてブレーキをかけたともいえる。

 今の時代、共学化を推進しない、とは言えない。だが、アンケート結果や別学校の生徒、同窓会の声は無視できない。かつ、生徒募集の困難など、共学化を望む別学校も実はある。それやこれやで出された回答であろう。

 以下、現時点(二〇二四年八月三十日)での、私の予測を記す。県教委は具体的工程表を出しておらず、現状のまま、あるいは一部共学化で終わる可能性もある。全校共学化した場合の予測であり、データを踏まえたわけではなく、いわば感想である。

 前記の、入試低倍率校は統廃合され共学化するだろう。ナンバースクールでいえば、熊谷高校は熊谷女子高校と統合し共学化するのではないか。浦和高、川越高、春日部高は共学化し継続。浦和一女と川越女子は、宮城県の旧宮城二女のように公立中高一貫校になるのではないか。春日部女子は、外国語科があり、それを基に男子生徒の募集が始まるのではないかと思う。

 

                                         ―――二〇二四・九・三―――