読売新聞には。「人生案内」という、人生相談のコラムがあります。その時々、時代背景を受けて、相談の内容も変わりつつあるのですが、11/19の相談内容は、このブログの読者なら、是非読んで欲しい内容です。

読売新聞 11/19 引用開始

『50代の男性教員。小学校で教頭をしています。校長に任用されるための試験を受けているのですが、合格しません。 昨年は2次試験で不合格になりました。今年は「完全にできた」と思ったのに、1次試験で不合格との結果でした。若い面接官たちは、こちらの日頃の仕事ぶりなど知らずに、数分の面接で不合格と判断します。まるで人格を否定されたようで、仕事に向かうテンションが下がってしまっています。自分は土日も出勤して教頭としての仕事をハイレベルにこなし、保護者や職員との関係も非常にうまくいっているのです。それなのに試験に落とされ、とても傷ついています。校長の中には不出来な人も大勢いるのに、なぜこの自分が不合格になるのでしょうか。仕事量は誰にも負けず、ハイレベルな結果を残しているのに、校長任用試験の担当者は全く理解しません。 頑張るしかないのですが、気の持ちようをどうすればいいのか、アドバイスをお願いします。

◇ 出久根 達郎(作家)

 能力試験というものは、主催者が不正をしない限り、合否は受験者の責任です。いかに努力し、がんばったからといって、結果がすべてです。お情けでは認めてくれません。 まことに公平です。それが試験であり、試験の良さです。これはあらゆる試験に言えることです。合否に理由はありません。 不合格に理由をつけたがるのは、当人の弱さです。えてして、他人に落ち度を見つけたがるものです。見苦しい限りです。 まず自分の欠点を認めなさい。欠点がどこだかわからない? 不合格になった試験のどこがいけなかったのか、一つ一つ点検すれば、思い当たるところが出てくるはずです。そこを直せばよいのです。 あなたの問題点は、自己採点の甘さと無反省なところだと思います。これを根本から改めないと、いつまでも同じ苦汁を味わうことになります。 いいですか。試験は一切の言いわけが通用しません。合格が絶対です。合格のみをめざして、精進あるのみ。ご成功を祈ります。

                         引用終わり

 

これまた厳しい回答ですね・・・。相談した人の気持ちもよくわかりますが・・・、回答では、結果がすべて。精進あるのみ、とあります。確かにその通りです。相談した人は、「これだけ仕事を頑張り、評価もされているのに、数分の面接で何がわかるのだ。おかしいのではないか」と面接試験の不条理を訴えています。しかし、面接官が見るのは、数分の面接でのその人の姿がすべてなんですよね。その数分でしっかりと自分の能力、魅力を伝えきらないといけない。伝えきれないと無いものとみなされるわけです。つまり不合格。不合格の理由を他者に転嫁することなく、言い訳することなく、しっかりと自分を見つめなおし、精進すれば道は拓けるはずです。