教師を目指す人、講師として働かれている人は、誠実でまじめな方が多く、睡眠を削ってまで教員採用試験に向けて勉強し、授業の準備に苦心し、児童・生徒対応、保護者対応に尽くされている人が多いが、木を見て森を見ていない人が多いような気がする、そういう話をしました。どういう意味かといえば、目先の授業、指導、対応に忙殺され、もっと広い視点、子供たちの将来を見据えて、大人になってから、社会に出てからなど、本来、学校教育が究極の目標とするべき生き方、生きる術について考えていない、あるいは考える余裕がない、もっと言うなら知らないのではないか、と感じるのです。総合学習で何をやっていいか解らない、とかキャリア教育が口さきだけで学校現場で進展しない理由がそこにあると考えています。前々回にプロ意識の一つとして知識・教養が豊富であるという話をしましたが、その中でも、社会情勢や社会の仕組みについてもっと興味・関心を持って知ろうとするべきなのです。しかし、そのためのもっとも有効な手段としての新聞を読まない人がなんと多いことか。新聞でなくとも、ネットやテレビでもいいのですけどそれすらしていない人も見受けられます。世の中のことを知らないで教育はできるのでしょうか?思いやりが大事だ、人との絆が大事だ、と言います。面接でもこぞって皆、言います。わかります。大切です、そんな社会になって欲しいです。でもそれならなぜ、失業者は出るのですか?なぜ、リストラされるのですか?就職活動でなぜ苦労するのですか?貧富の差はなぜでるのですか。こたえられますか?教育者であるなら自分なりに考え、そのために必要な最低限、今、世の中で何が起こっているのか、これからの社会はどうなるのかを考えるための素材、知識・情報が必要です。教育は無論、経済、政治、国際関係、文化など情報を得て、自分なりに考える、そうすることでこれから生きていくには何が必要か、初めて見えてくるのです。向かうべき道がわかって、そこで初めて教育実践であると私は考えているのですが、学校では難しいのでしょうか。やっぱし家庭任せか。貧困の連鎖、生活保護世帯の連鎖などは教育でなんとかできると信じたいです。