大切な人なんかいないよ、って人もいると思います。
僕はずっと可でもなければ不可でもない人間なので、自分の答えが常に正しいとも、他人の答えが常に正しいとも思っていません。
正しさなんてものは死ぬ寸前に自分で判断出来れば儲けもんだと思います。
僕には少なからずの大切な人達がいます。
大切な人だからこそ、ぞんざいに扱ってしまうこともあります。
近しい存在だからこそ、勝手な憶測で相手のことを判断してしまうこともあります。
実は大切な人だったのにそれに気づかずに、自分の周りから離れていって初めて気がつくこともあります。
よくドラマや漫画で見るパターンのやつですね。
じゃあ、そんな大切な人が本当に自分から離れていってしまったらどうなるのでしょう。
考えたことがある人もいるのではないでしょうか。
そうなったらきっと僕はただただ泣いて、わがままを言うしか出来ないでしょう。
離れていかないでって。
あなたがいないとダメなんだって。
自分の人生にこんなに踏み込んでおいて、いきなりさよならなんて酷い話だ。
そんなことを言うのならこっちだってわがままを言わせてくれよって。
僕は自分の人生に誰かを関与させたいし、他人の人生に勝手に関与したいタイプの人間です。
面倒くさい男です。
の、割にそこまで他人には興味がないです。
面倒くさい男ですね。
まぁ、これが悪夢か何なのかなら早く冷めてくれよって願うでしょう。
大切な人が離れていく理由には少なからず僕にも非があるものです。
少なからずではなく、きっと大半の理由は僕にあるものでしょう。
そうやって悔やんで生きてきました。
大切な人が離れて行く度に何度同じことを繰り返すのだろうって思います。
成長してるのだかしてないのだか、自己嫌悪の波は定期的にやってくるものです。
ただ、僕が大切だと思っている人にとっても、僕は大切な存在だったりするのかなぁなんて、歯痒い期待なんかもしてしまって、蓋を開ければ結局そうで、なんてことでどうにかなってしまうこともあります。
物凄く歯痒い関係だと思います。
歯痒すぎてアトピーになりそうです。
このブログを読んでいる本当に数少ないあなた方にとっての大切な人、そんな人がいたとしたら改めて、恥ずかしいと思うけど照れ臭いと思うけど、ちゃんと言葉にして感謝とか存在の有り難みなんかを伝えてあげてください。
むかつくとこもあるけれど、やっぱりあなたは僕にとって無くちゃならない存在なんだ。
偽善と金の魔物に喰われた宗教団体幹部メンバーが書いてそうなブログの内容になってしまいましたが、一応わたしも人間的な道徳的な一面があるので、そんなこっぱずかしい内容を文字にしてみました。
約束をしよう僕と君だけの
指切りなんかじゃなくてさ
これから僕らは上手くやれるはず
なんて歌詞が書けるようになったのも、誰でもなく、かけがえのない僕にとっての大切な人のお陰様なわけです。
あー、寝よう。
おやすみなさい。