中学生くらいの頃から深夜ラジオを聴き始めて、地元のローカル局の人気番組から始まって色々聴いていたけれど、やっぱり深夜放送の王様といえばオールナイトニッポンですよね。当時は深夜1時から3時までの1部と3時から明け方5時までの2部構成で、それぞれパーソナリティが違っていて、ぼくの地元では1部は放送されていたけれど、3時からは何かトラックの運ちゃん向けの歌謡曲とか演歌ばっかり流れる番組になってしまって、2部は放送されていなかった。でも当時中高生のぼくとしてはなんとかして2部が聴きたい。ラジオのダイヤルをニッポン放送の周波数1242に合わせると、ザーピーピョロピョロピョロジー…というノイズの向こうに微かに番組の音声が聴こえる。それで、部屋の中で少しでも電波の入りの良い場所を、少なくとも番組の内容がかろうじて聞き取れるくらいにはノイズの減る一角を探す。夜更かししてることがバレると怒られるので電気をつけずに真っ暗にした部屋の中を、イヤホンつけたラジオ片手にあちこち這いずり回る。窓のそばでラジオを高く掲げたりして、しばらく聴いていてまた少しノイズが多くなるとまた違う場所を探して這いずり回り、そんな涙ぐましい努力をしながら「谷山浩子のオールナイトニッポン」とか聴いてました。これ、ぼくの世代の地方に住んでたラジオ好きにはわりと共感される話です。あの時代は、真夜中に真っ暗な部屋の中を這いずり回っている中学生がいろんな地方にいっぱい棲息していた。

 余談だが(全部余談ではあるが)、当時ぼくの好きだったメディアはラジオと雑誌で、ラジオはオールナイトニッポンやTBSラジオのスーパーギャング(これも地元では放送されていなかったのでノイズまみれで聴いていた。景山民夫とか篠原勝之とかの攻めた人選のパーソナリティ)などの深夜放送、雑誌は投稿誌『ビックリハウス』やまだ版型が小さくがっつりと音楽とサブカルチャーの雑誌だった頃の『宝島』(その後版型の大きくなった『宝島』がだんだん変質していって最終的にヘアヌード雑誌になってしまった時には「諸行無常」という言葉の意味を知った。。。)、わからなくとも背伸びして読んでるふりをしていた『現代思想』やそれよりはちょっとわかりやすかった『ユリイカ』、高校生くらいになると末井昭編集長の『写真時代』や大学の頃に伝説の漫画誌『ガロ』とかとか。それで、こないだ『NUN』というメディアもやっているパフォーマーの清水博志さん(ぼくより4つくらい上だけどほぼ近い世代)と話していて、激しく共感できたのは、中学生くらいの頃、ぼくは例えばニューウェーブとかテクノポップとか聴いていて、当時の流行とはいえ、でもそういう音楽を聴いているのは当時でもやはり少数派で、クラスの大半は横浜銀蝿とか聖子ちゃんとか聴いていて(ぼくもそっちも聴いていたけれども)、そんな感じで、音楽に限らず映画や本やらの話をしても、クラスに話の合う友達がほぼいない。「ピテカントロプスの逆襲のスネークマンショーが…」とか「林海象が新作を…」とか「赤瀬川原平の路上観察が…」とか言ってもみんな聴いていないし観ていないし読んでいない。YMO時代の細野晴臣が、何かのインタビューで、ぼくらのやっている音楽を好きになってくれる人は、クラスに1人みたいな少数派だとおもう。でもクラスに1人からクラスのみんなにするのではなくて、世界中にいる「クラスに1人」に届けたい、という、ウロ覚えだから全然正確な文言ではないけどだいたいそういう意味のことを言っていて、ぼくはまさにその「クラスに1人」だった。でも雑誌をみると、たまたまぼくのクラスには趣味の合う友達がいないけど、日本中には、こういう話ができる人がたくさんいるんだ、ということがわかる。あちこちバラバラに遠く離れて暮らしていても同じ空の下の色んな町に、顔も名前も知らない友達がたくさんいるという気持ちにさせてくれる、まだ版型の小さかった頃の『宝島』とかってそういう雑誌だったよね、という話で盛り上がった。ということは、ぼくは清水さんと直接知り合ったのはまだ数年前だけど、出会う何十年も前に「顔も名前もどこに住んでるかも知らない友達」だったわけだ。同じ雑誌を同じような気持ちで見ていた。

 ところでyoutubeを漁っていると、昔ぼくが聴いていたラジオ番組の録音がアップされていることがある。録音テープの経年劣化による多少の音質のザラザラ感はあるとはいえ、ぼくがノイズまみれで聴いていたのに比べればはるかにクリアな音声で。あら懐かしい、と思って聴いてみると、驚くのはもう40年近く昔に一度聴いたきりの番組なのにかなり細部まで覚えていたりする。それだけ必死に聴いていたのだろう。懐かしいは懐かしいのだが、多少の物足りなさも感じる。つまり、ノイズがないことが。ノイズがないと、その音声が遠くから来た、という遥々感が乏しい。深夜の寝室を這いずり回りながら、ぼくは遠くの星を望むように東京のラジオを聴いていた。その時の、寝巻の衣擦れの感触や皮膚に滲んだ汗や誰にも捕捉されない息遣いや、そうした暗闇の中の皮膚感触と密響していたのはピーヒョロヒョロジー…というノイズだったのだろう。そしてその向こうから近づいたり遠ざかったり起伏する番組の音声を人格的に受け取っていたのだと思う。

 中学生くらいの時に観たテレビ番組で、カール・セーガンの『コスモス』だったような気がするけど、違うかもしれない。ともかく何か宇宙の神秘を扱った科学番組の中で、テレビの番組終了後のサンドストーム(砂嵐)、あの画面いっぱいにざわめく銀色や黒の粒々の内の何パーセントかは宇宙から飛来する電波ノイズだ、という話を観た。あの銀色の砂嵐の画面がぼくは小さい頃から好きだったのだけれど、それを知ってますます好きになった。ゴダールの『マリア』の中で、女性が暗い部屋の中でテレビの砂嵐の画面を愛撫するように銀色のざわめきに腕を浸す場面があるのだけれど(ほとんどその場面しか覚えていない)、同じようにぼくも銀色の画面に素肌を浸したりしていた。小魚の群れに四方八方からついばまれるように肉が銀色の粒々に犯され脳に涎がたれる。宇宙の粒子と肉の細胞の交歓する深夜のテクノロジカルな密儀の愉楽。あの大好きだった砂嵐も、テレビがブラウン管でなくなりアナログからデジタル放送に替わってなくなった。どんどんノイズがなくなっていく。ぼくは今でもラジオを聴くけれど、ネットのradikoというサービスで聴くことが多い。ノイズもなくタイムシフトサービスを使えばリアルタイムじゃなくても聴けるので聴きやすいし便利ではあるが、ダイヤルをいじっているとよくわからない外国語の放送が飛び込んできて意味がわからないけどなんとなく聴き入っている、というようなことはなくなった。

 ところでメディアは単数形の「medium」で霊媒という意味を持っているけれど、たとえば恐山のイタコの口寄せなどの記録映像を観ていていまいちつまらないのは、呼び出そうと意図した死者しか語らないことだ。もし霊界というものがあって、イタコがそこにアクセスできる受信機のようなものだとしたら、うっかり別の死者が語り出してしまったり中有に彷徨う亡霊の類いが混じり込んだりしないものか。そんなうっかり者のポンコツ霊媒がいても面白いと思うのだが。亡き父の語りだと思って神妙にあるいは涙しながら聞いていたらどうも話がチグハグでよく聞いてみると江戸時代に死んだ先祖の霊だったとか、日本人であるはずの亡姉がいきなりスペイン語混じりで話し出すとか、やたら咳払いが多くてその内ただ咳してるだけになってしまうとか。それはそれで、聞きたいことは聞けないかもしれないが、ああ霊界というところは確かにあって亡き肉親もそこで賑やかにやっているんだなあ、ということは感じられるのではないか。
 しかしそんなうっかり者の霊媒は確かにポンコツではあって、ラジオやテレビなどの機械もやはりポンコツであるほどノイズは多い。人間だって老いてポンコツになる程記憶も混濁する。老化に限らず、病気で発熱していたり疲労困憊している時には、普段しないような勘違いや頓珍漢が増える。ポンコツというのはようするに隙が多いということだ。統御が甘くなって、隙間から色々な外部の侵入を許すことになる。ゆえにノイズや混線が増える。
 混線という現象は、そもそも集約する装置が前提にある。中空に様々な電波が常に飛び交っているけれど、そもそもラジオという装置がなければ受信できない。霊界や中有にどれだけ亡者がうごめいていても、霊媒という装置がいなければ語らない。散らばっているものが一つ所に集まるという装置があっての混線とかノイズなのだ。「太古の昔に恐竜がいました」「生まれたての赤ん坊が産声を発しました」このふたつはバラバラに存在する単なる事実だけれど、それが混線して「赤ん坊が生まれた途端、恐竜の鳴き声を発しました」なんてことが起こるには、現在と太古を、人間と恐竜を、異なったものを何かの感受性にそって集約する場が必要だ。

 ここを「ここ」にするもの。
 中学1年の時、初めて自分専用のラジオを手に入れた。AMしか入らない安物の、手のひらに収まる小さな1個のポケットラジオだったけれど、それを手に入れた時の喜びは、今まで自分が立っていた地面とは違う層の広がりを、中空の電波の飛び交う層を通して届く「遠く」に自分が広がっていけるような気持ちだった。夜空を見上げる自分一人の場所のような。同時にラジオは、ノイズを聴くためのものでもあった。ノイズは夜をつくる。ジーブツブツピーピョルピョロというAMラジオのノイズや、テレビのサンドストームのザーというざわめきは、意味に整理された情報を侵食する物質層からの波だ。それは人間でいえば病気とか老化とかいったものに近い。人間は死ねば死体になる。死体というのはいうまでもなく物質だ。生きている体ももちろん物質だが、様々な個体維持の生命システムでもって素材である物質が勝手に外界と交接して崩壊や腐蝕を招かないように適切に管理抑制することで生きている。つまり逆に言えば生きている体は去勢された死体でもある。人間は不完全な死体として生まれ一生かかって完全な死体になる、と言ったのは寺山修司だが、統御がゆるんで生体に下の物質層から先取られた死体が、時にはさざ波として寄せて引き、時には潮の満ちるようにジワジワと浸食してくるのが病気であり老化だ。統制された意味という明るさを侵食する物質の昏さ。でもそれはネガティブなだけのことではない。物質というのは宇宙を感じさせる。ぼくの体を構成している物質は地球を構成している物質の一部で、もともと宇宙から来たものだ。ぼくは生まれてから数年数十年しか経っていなくても、ぼくのからだを構成する物質は宇宙創成以来の来歴を持っている。だから生きているぼくのからだの下からの死体の染み出しというのは、生きている体内にもある宇宙の響きでもある。ノイズが夜をつくるというのはそういうわけだ。だから昼間にポンコツラジオを聴いていても、ピーピョロピョロというノイズは夜を感じさせるのだ。不完全な死体のようなラジオ。
 ところで余談だが(余談以外ないが)徳永英明の有名な歌に『壊れかけのradio』というのがあるが、あの曲の歌詞は冒頭からいきなり「何もきこえない 何もきかせてくれない」と始まるから、(それ壊れかけじゃなくて完全に壊れてるじゃん!)とつっこみたくはなるが、とはいえあの歌もやはり「窓ごしに空をみたら かすかに勇気がうまれた」「華やいだ祭りの後 静まる街を背に 星を眺めていた 汚れもないままに」と空を見上げ星を望んでいるからラジオというもののひとつの核心を掴んでいる。

 雑誌。ラジオ。雑多なものが何かでもって「ここ」に集まってきて交錯する場所。街。交差点。駅。ライブハウス。劇場。からだ。
 余談だが(もはや余談しか許さないが)、ぼくが好きな場所は、「どこかから何かの感性に導かれてそこに人が集まって来て、素性は問われず、特に一丸となるわけでもなくみんなそれぞれがそこで割と好き勝手なことをしてるけど、でもなんだかそこにいるみんながなんとなく楽しい気分でいられる」そんな場所だ。そこにいるひとのかたわらにそこにいないひともいられるような。ちなみにそういう場所を維持するのに必要なマナーをわきまえていない奴をぼくは「田舎者」と呼ぶ。

 この文章もポンコツらしくまとまりもつかぬまま唐突にここで終わるが、表題の末尾の『同じ月を見ている』というのは中学生のぼくにとってのラジオスターでもあった谷山浩子さんの歌のタイトルです。この駄文のタイトルに借りるには申し訳ないような綺麗な曲ですが、youtubeとかにあがっているので、気が向いたら聴いてみてください。

 

(二〇二四年三月)