陸前高田のこと | The ON-GAESHI Days!!!! ussie Official Blog

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みんなに知って欲しいから10年が経った今年も改めて書きます。

僕は中学〜高校時代、文通をしていた友達が陸前高田に住んでました。3.11、あの時はさほど気にもしなかったのに。数年後に急に強く思い出しました。
というよりは、まさかという気持ち、確かめる恐さ、不謹慎だという気持ちがありました。本当は陸前高田という地名ですぐに閃いたんですが…、ずっとそのままにしていました。
名前を検索すると、お悔やみの欄に名前が載っていました。しかも、同じ名字の家族らしき人も続けて載っていました。
その時から、この時期には心にぽっかりと穴が開いた様な気持ちになります。
津波や地震の前では大人も子どもも、お年寄りも若者も関係ない。一覧を見ていくと、色んな場所で色んな年齢の方が亡くなっていました。
唯一の共通点は、“その場所”に居たという事。
自然災害の恐ろしさ。誰もあんな事を想像できないですよね。でも、想像したくないと逃げる気持ちより、ゼロではない可能性に備え、あの出来事が教えてくれた事を糧にしたい。
良い言葉を聞きました。風化するとは忘れる事ではなく、当たり前になって文化になる事。つまり、語り継ぐ必要がなくなる事。例えば、“地震が起きたら、すぐに高台へ”。継続的な意味での身近な地震対策も。
あれから10年。全ての人にとって、同じ期間。でも、あの人が生きたかった10年。その想いだけは、これからも忘れずに1年1年積み重ねていく事が自分の使命だと思いながら、これからも生きていきます。
これだけは、たとえ悲しい出来事だとしても、忘れてはいけない事なんだと思います。
これは2018年の春に念願の陸前高田を訪れた時の街の姿です。言葉を無くしました。今はどんな姿になっているんだろうか。
陸前高田に行って、色んな出会いがあった事、色んな感情が芽生えた事、生きる糧になっています。
鶴亀鮨の大将やお知り合いの方のおかげでご家族と話す事ができました。ドラマみたいな運命の様な出来事でした。津波の怖さや一つの判断で生死が分かれた体験を聞きました。
でも、高台には新しい街が広がっていて、皆さんの話を聞くと、僕の方が勇気をもらえました。街や人の、前に進む力強さを最も強く感じました。
津波に襲われた恐怖よりも生まれ育った街や人が好きだからここに居るという気持ちが強い事に感動しました。
#東日本大震災を忘れない