悲しい思い出を忘れる事は人間の防衛機能だから仕方ない…。
初めて打ち明けます。僕は中学~高校時代、文通をしていた友達が陸前高田に住んでました。3.11、あの時はさほど気にもしなかったのに。数年後に急に強く思い出しました。
というよりは、まさかという気持ち、確かめる恐さ、不謹慎だという気持ちがありました。本当は陸前高田という地名ですぐに閃いたんですが…、ずっとそのままにしていました。
名前を検索すると、お悔やみの欄に名前が載っていました。しかも、同じ名字の家族らしき人も続けて載っていました。
その時から、この時期には心にぽっかりと穴が開いた様な気持ちになります。
津波や地震の前では大人も子どもも、お年寄りも若者も関係ない。一覧を見ていくと、色んな場所で色んな年齢の方が亡くなっていました。
唯一の共通点は、“その場所”に居たという事。
早く陸前高田に行って、真実を知りたいと思う気持ちもあったり、心構えができて自然とその時が来るのを待っている様な自分がいたり、複雑な気持ちです。
自然災害の恐ろしさ。誰もあんな事を想像できないですよね。でも、想像したくないと逃げる気持ちより、ゼロではない可能性に備え、あの出来事が教えてくれた事を糧にしたい。
良い言葉を聞きました。風化するとは忘れる事ではなく、当たり前になって文化になる事。つまり、語り継ぐ必要がなくなる事。例えば、“地震が起きたら、すぐに高台へ”。継続的な意味での身近な地震対策も。
あれから5年。全ての人にとって、同じ期間。でも、あの人が生きたかった5年。その想いだけは、これからも忘れずに1年1年積み重ねていく事が自分の使命だと思いながら、これからも生きていきます。
これだけは、たとえ悲しい出来事だとしても、忘れてはいけない事なんだと思います。
初めて打ち明けます。僕は中学~高校時代、文通をしていた友達が陸前高田に住んでました。3.11、あの時はさほど気にもしなかったのに。数年後に急に強く思い出しました。
というよりは、まさかという気持ち、確かめる恐さ、不謹慎だという気持ちがありました。本当は陸前高田という地名ですぐに閃いたんですが…、ずっとそのままにしていました。
名前を検索すると、お悔やみの欄に名前が載っていました。しかも、同じ名字の家族らしき人も続けて載っていました。
その時から、この時期には心にぽっかりと穴が開いた様な気持ちになります。
津波や地震の前では大人も子どもも、お年寄りも若者も関係ない。一覧を見ていくと、色んな場所で色んな年齢の方が亡くなっていました。
唯一の共通点は、“その場所”に居たという事。
早く陸前高田に行って、真実を知りたいと思う気持ちもあったり、心構えができて自然とその時が来るのを待っている様な自分がいたり、複雑な気持ちです。
自然災害の恐ろしさ。誰もあんな事を想像できないですよね。でも、想像したくないと逃げる気持ちより、ゼロではない可能性に備え、あの出来事が教えてくれた事を糧にしたい。
良い言葉を聞きました。風化するとは忘れる事ではなく、当たり前になって文化になる事。つまり、語り継ぐ必要がなくなる事。例えば、“地震が起きたら、すぐに高台へ”。継続的な意味での身近な地震対策も。
あれから5年。全ての人にとって、同じ期間。でも、あの人が生きたかった5年。その想いだけは、これからも忘れずに1年1年積み重ねていく事が自分の使命だと思いながら、これからも生きていきます。
これだけは、たとえ悲しい出来事だとしても、忘れてはいけない事なんだと思います。