深く考えていなかったから、失敗は起きた。


 しかし、『洗脳』状態は意図していなくても、起きてしまうものだと思う。


『信じたい』『希望』『期待』 が絡む『スピリチュアル』な言葉・・・


エネルギーという、視えない何かしらと、神聖な存在からの言葉・・・


信じたかった、信じたい、言葉・・・



与える側、もらう側・・・



『本物』でなければ、『人生の修行』


果たして、『本物』という感覚がどうあるのか、答えられるのだろうか・・・



私の身体は、『洗脳』が起きていたと思うし、インプットされた、スピリチュアルな世界にある言葉に、バカみたいにシンクロ、必然だと、鑑定結果と繋がりを探して、囚われていた。


体験する意味があるという、言葉。


見出す意味。



何の責任もなく、生きられるのか・・・


ポジティブ思考で、 謳歌できるとは、思う。



出会っている言葉に、


繋がっていく言葉・・・


『スピリチュアル』に、『スピリチュアル能力』が絡む・・・


一時的な寄り添い・・・


『いい言葉の羅列』に、『厳しい言葉』


その世界の『危険性』を考えることができているのか・・・


『信じる』ということの中身・・・



みんな、『本物』だったら、いい。



私の身体では怖い体験をして、


まぁ、そういう育ち、身体だから・・・か?とね・・・


では、出会った他者が私の世界で、どんな登場人物、存在として、現れたのか・・・


『本物』が 登場していたとしても、私の状態に対して、『意味のあること』だけでいいのだろうか・・・



みんな、『修行中』だから、赦される・・・?


『無償の愛』『学び』・・・


いろんな、スピリチュアル的な言葉に隠れている、


『甘え』はないのか・・・?



そこにある言葉は、すべて、真実と呼べるものなのか・・・


溺れることのない、自信。



わけがわからなくても、信じたいこと・・・



私は出来損ない。不出来だ。

私の中には、『光と闇』がある。


私の世界の登場人物は、


『光』を知っていて、私よりできる人で、良い人間で、『スピリチュアル』に絡む、なにかしらの資格、能力があって、先を歩いている人がいて・・・


それと、それ以外の登場人物がいる。



私の世界では、


先を歩く人は、一時的な関係性で、


『みてもらう』関係性は、


一方通行が多いようだ・・・



 ポンコツな自分だからか・・・



ずっと続く縁、集まりの、中心にあるのは、血縁、家族、相性、波動、信じる何か・・・


波動、信じる何か・・・は、隠してか、隠してなくてか・・・



能力を発揮して、誰かへ与える言葉・・・


対応不可、対応可・・・


繋がり続ける縁と、切れる縁・・・


『波動』が縁の切れ目・・・?


『お金』と『心』


『仲間』と『その他、客』


『救いを求める人』に、対応する立ち位置・・・


それぞれ、


どんな世界を感じているのだろう・・・




『本物』として?


不確かでも?


伝えてしまう言葉の意味・・・



どんな立ち位置にいて、発する言葉か・・・





私の身体では、数ヶ月間、何らかの異常が起きて、自分以外の何者かが、『いる』と思う状態になり、身体は操られて、おかしな行動、言動が起きた。かも・・・



そういう体験が起きる世界に生きていて、


自覚の足りなさ、危険性への意識の足りなさを感じた。



ネガティブはないほうがいいに決まっている。


穏やかな暮らし、平和がいちばん。



だけど、『身体』によって違う、


『失敗』があちらこちらにある。




事件、事故、争いのない、そんな時間があると言える人はいるのだろうか・・・



自分のみたいものだけをみていれば、それはあると言えるのか・・・








私考。