1937年7月29日、冀東防共自治政府の首都通州など華北各地の都市で保安隊が蜂起、蘆溝橋事件の余波で避難していた婦女子を含む日本人居留民、天津特務機関長細木繁中佐ら軍人など200余人(半数は移住してきた朝鮮人)が殺された。事件の原因は、日本軍機が華北の各所を爆撃した際に、通州の保安隊兵舎などにも誤って爆弾を投下したことの報復と言われる。殷汝耕主席も保安隊に連れて行かれた。日本国内では第2の尼港事件と言われ、大々的に取り上げられた。30日、日本軍が出動してこれを鎮圧、殷汝耕も解放された。殷は辞任し、その後日本に対し賠償が行われたが、むしろ、日本はこの事件を心理的に利用した。
(http://www.nagai-bunko.com/shuushien/ww2/jikoh/tusyu.htm より引用)

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