誰の期待にも答えないと決めた日 | 毎日が夏休み!どんな自分でも大丈夫だよ。

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ハートで生きる レムリアの友のみなさん ハロ ~~ ❤
 
この後、お話しさせて頂くのですが、昨日の夕方から今朝にかけて、自分の深い部分がもの凄く癒され、解放されて、
 
なんかNEW“てらのり”になったみたいなので、ブログのタイトル名も変更させて頂きました(笑)
 
いつも読んで下さっているレムリアの友のみなさんも、始めましての方も、これからも気軽に楽しく読んで頂けたら嬉しいです。
 
 
さてさて、怒鳴られるのが好きな人っていないと思う。←別に好きでも問題はないですよ(笑)
 
会社の社長が、このご時世なら直ぐにパワハラと訴えられるほどの時代錯誤の人で、自分のやったことで問題が起きても、全部社員のせいにして、何でもかんでも怒鳴り散らす80代(笑)
 
いいところねぇ~(笑)
 
でも、このとんでもない人のおかげで、自分の内側との対話の回数が増えて、手放しが相当なスピードで進んだのは確かです。
 
その点は感謝ですね(笑) ありがとう。
 
手放しが進んだせいか、今となっては、真剣に相手にすることもなく、うるせぇなぁ~くらいになってきております(笑)
 
言葉遣いが悪くてすみません(笑)
 
 
それでも、理不尽なことでどなり散らされるのは、やはりとても好きにはなれません。
 
昨日の夕方にそんなことがあったので、途中で自分の感情を止めたり、邪魔をすることなく、私の気が済むまで、思いっきり自由に、イライラ怒らせてあげました(笑)
 
家に帰宅して、おいしいご飯を大好きな家族と食べて、
 
気持ちの良いお風呂にゆっくりと浸かって、録画してあるサンドイッチマンの『博士ちゃん』を見て、散々笑ったら、
 
ベッドに横になる頃には、良い気分になっていました(笑)
 
ありがたいことです。
 


 
そこで、ベッドに横たわって、天井の木目を見つめながら、冷静に『自分軸』に戻って内観を始めました。
 
自分自身の中に、そのエネルギーと合うものがなければ、外の世界のそれとは繋がらないはずだ。
 
それはいったい何なのか? 今回でこれは終わりにしよう・・・・。
 
 
『勝手になんでも出来ると、私に期待するな!
 
勝手に私に期待しておいて、その期待に添わないからどなり散らすなんて、なんて理不尽なの。
 
期待される方が迷惑!!』
 
そんな怒りの言葉と小・中学生の頃の映像と思いが走馬灯のように駆け抜けていく。
 
私なら出来るし、安心して任せられるからと、そんな安易な理由で、学校の先生たちに無理やり押し付けられた数々のイヤなこと。(学芸会や運動会の司会etc・・・)
 
運動会とかも、やりたい競技に手を挙げて決まっても、足が速いからとかで、クラスの人たちにリレーとかに回された。
 
そして、運動会はあんなに何年も機会があったのに、一度たりとも、自分の好きな競技に出られなかった。
 
今の私ならそんな勝手な奴らに、大きな声で堂々と言ってやるのに、
 
 
『出来るのと、やりたいコトは違うんだよ!!!』
 
 
あの当時の私には、そんなことを実際に伝えるなんてこと、怖くてできなくて、黙って耐えていた。
 
 
その上、残念なコトに、それらを私は、キチンとやり通していた。
 
それには、イヤなことをさせられているのに、努力をしなくてはならないという、地獄のような苦痛が必ずともなう。
 
だけど、外側から見たら華やかなことだし、誰も私の苦しみを解ってはくれない。
 
イヤなコトを苦労してやって出来たところで褒められても、うれしいくもない。だって、やりたくないんだから・・・。
 
それどころか、この私の苦しみを誰も解ってくれないという苦しみと孤独が増すばかり・・・。
 
“勝手な期待”そして、“出来るのが当たり前”という無言のプレッシャー。
 
子供の頃の自分の辛さが伝わって泣けてくる。
 
そして、映像を振り返りながら、ふと、頭をよぎる更なる疑問。
 
 
“そもそも、これは何から始まって、どうして私はこんなに自分がイヤだと思うコトにまで、誰かの期待に応えようと、必死に頑張ってしまうのか?”
 
 
 
その疑問に答えるように、小学生の低学年の自分が、テストの点数が悪くて父に怒鳴られている映像が流れる。
 
 
大人になった私側から、その映像を見ると、怒鳴られたと言うよりも、怒られたとか注意された程度で、むしろ、今の私なら絶対に言い返している(笑)
 
今の私から見て、父は穏やかな良い人ですので、誤解なく(笑)
 
それでも、あまり怒られたことのない、小さい私には衝撃的なことだったみたいで、
 
 
そこから、“怒られるのがイヤだから、怒られないようにしないと、期待に応えないと”とか、“期待に応えられない私には何の価値もない”と震える声で何度も繰り返す、小さな私の心の声が聞こえてくる。
 
 
そして、当時の私が感じている『価値のない自分』というものに対する恐怖は、相当なもののようだった。
 
 
くらい部屋の隅っこで、膝を抱え、震えながらその言葉を繰り返して泣いている小さな自分を、霊体の私が見つめています。
 
 
“自分(=心)”をどこかに置き忘れてしまっているようだ。
 
そう言えば、自分(心)を取り戻すのに時間がかかったなと、今の自分になるまでの期間を一瞬で思い返す(笑)
 
その後で、笑いながら小さい自分を霊体となっている私が優しく包こみ、ごめんね。ごめんねと、小さい私に何度も謝り、
 
これからは、『誰の期待にも応えなくていいよ』
イヤなら『自分の期待にすら応えなくていい』と耳元で伝えた。
 
 
 
朝の目覚めは爽やかでした。
 
「これからの私は、誰かの期待に一切応えない。つらいなら自分の期待にも応えない。それでも、私の価値は何一つとして変わらない。
 
そして、これは私が外側の他の何かに期待するということの終わりでもある」
 
そう言葉を発して、心と共に、自分が楽しいと思ったことを、楽しんでする人生をおくる。と再度誓って起き上がり、今日を開始しました。
 
 
これを読むことで、同じような苦しみを持った人は解放されると思います。
 
全ては一つの魂ですからね。
 
寝ている間に解放されて、新たな決意と共に再出発することとなりました。

まっ、そう言うことも良くある話ですよね(笑)
 
それでは、また、心ある世界でお逢いしましょう。
 
ありがとう。ありがとう。ありがとうコインたち