μsicforever: そして僕の最後のページの後には | これが趣味というものか

これが趣味というものか

とあることがきっかけで留学している人です。内容は、7割:趣味の話、2割:留学生活の話、1割:その他。

 マブーハイ! 「今日は特に暑いね」とフィリピン人の友人に話したら、「残念だけど、これはまだ涼しいほどなんだ。」と返されました。ドーモ、今にも暑さで溶けそうな えのけんです。

 

 今回も長いので、最後の数行まですっ飛ばしても構いません。

 

 祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらわす

 

  皆さんご存知の『平家物語』の冒頭。中でも、「諸行無常」というフレーズは本来仏教用語でありながら、今では多くの人が知っている言葉。

  

  この世に不変などなく、どんなに栄華を極めたとしても万物は終わりを迎える定め。もちろんサブカルチャー/オタク文化も例外ではない

 

  アイドルで言えば、メンバーの脱退やグループ解散。アニメで言えば、打ち切りや関連コンテンツの終わり。記憶に新しいものだと、ミルキィホームズやWake Up, Girls!の解散などが挙げられる。

 

 

  今日3月31日もあるグループが終わりを迎えた日である。

 

  そう.....

 

μ’s

  である。

 

 

  日本人ならオタク・非オタク・老若男女関わらず、このμ’s(ミューズ)の名を耳にしたことがあるだろう。

 

  『ラブライブ!』という1作品内に登場するグループに過ぎなかったμ’sだが、その人気はすさまじく、メディアでは社会現象と紹介され、国内外の人々を魅了し、多くの人々や日本サブカルチャー文化に多大なる影響を与えた。

 

 

  し か し、諸行無常・盛者必衰とはまさにこのこと、紛うことなき伝説となったラブライブ!とそのユニットμ’sは、2016年3月31・4月1日東京ドームでの『μ’s Final LoveLive! μ’sic Forever ♪♪♪♪♪♪♪♪♪』を最後にその歴史に幕を閉じた。

  

 

  んで、僕もラブライバーである。ちなみに、園田海未である。そして、3月31日のファイナルライブは幸運なことに現地参加できた。

 

 

 

  《えのけんとラブライブ!の略歴》

 

高校入学時にクラスメイトがスクフェスをやっていて気になった。

弓道やっているキャラクターがいるんだ。へ~やってみようかな。(当時弓道部員)

ふ~ん、園田海未というのか

え.... か わ い い !

ドはまり。

                ↓ 時は過ぎ....

高3:浪人が決まる

3月31日:ファイナル現地参加

4月1日:浪人期の始まり

 

 

  唐突ですまないが、「諸行無常」の話に戻ろう。この言葉、決して万物が終わりを告げる厭世的な意味を示すのではないという事に注意してほしい。あくまでも「この世には不変というものは存在せず、絶えず変化し続けることが真理」ということである。

 

 

 

  ラブライブ!で言えば、単純にコンテンツの終了・グループ解散を意味するのではなく、サンシャインへとバトンへと変化した。

  僕で言えば、高校卒業ではなく、浪人生そして大学生そしてそして留学生への通過点である。

 

 

  すなわち、言い換えれば、諸行無常=終わりのその先、次の世界・新しい未来への第一歩なのである。

 

 

  考え方によっては今ある経験も環境も出会いも、予定調和でこうなる運命だったのかもしれない。しかし、僕にとってのラブライブ!とは

 

 

高校3年間を象徴するモノ

ファイナルは浪人する時の過去との決別を示すモノ

今のえのけんを作ったモノ

 

 

である。

 

  ラブライブ!に出会って無かったら、今の大学への入学及び留学すらしてない可能性だってあるレベルである。ちな、脱オタするきっかけも完全に逃した。

 

 

 

  僕は

 

  人生というのは「真っ白いノート」

 

のようなものだと思っている。

 

  すなわち、自身の学んだことや経験・体験をその白紙に書き連ねていくのである。そしてまた、その時どう思ったのかを落書きのように自分の気持ちを記す。実は、「記憶」の正体とはこれらの事を示すのではないかと常々思う。

 

  プラスの感情は、大きく記されていたりマーカーでも引いてあるのか、人は嬉しい事はいつまでも覚えている。

 

  マイナスの感情は書きなぐったり消そうとしているのか、かえって人は辛い事をいつまでも覚えていたりする。

 

  しかし、人間というのは不完全なもので、ページ数が多くなるにつれ、前に書いた・読んだ内容ほど忘れがちである。記憶が常にあいまいで朧気なのもきっとこのせいであろう。

 

 

 

   他人から見ると、僕とラブライブ!との出会いはこれからの人生から見れば些細なことだろう。しかし、この出会いとその後のきっかけで得た経験、人との交流、もろもろ全てには無いにしろ、多くはこの先覚えているだろう。

 

  ん?なぜかって? 

 

  それは、高校~留学の何ページにもわたる、そして今現在、進行形でアメブロを書いている一番新しいページを含めた僕の人生のノートをどこから読み返しても必ずラブライブ!との出会いに行き着くからである。

 

 

  さて、大学生活が半分を過ぎようとしている今、僕のノートはどうだろう。

 

  多くの経験、あふれる感情が記された、分厚いモノ?それとも、薄っぺらいモノ?

ルーズリーフみたいにシンプルなモノ?それとも、落書き帳みたいに個性的なモノ?

 

答えは、永遠にわからない。

 

  これから何十年先、様々なことがあるに違いない。海のように穏やかな凪のときもあれば、荒れるシケのときもあるだろう。

 

そして最後のページはどうなるのかわからない...

でも....

 

  真っ白なノートブックへと想い出が増えてゆき、一冊の本になった時、

表紙に小さくありがとうと書けるような人生を歩みたい

 

 

 

 

 

  あなたの人生はどんなノートですか?

 

 

 

 

えのけん

 

前回の解答: 20ペソ紙幣

  ちなみに、アキノ夫婦は500ペソ紙幣

 

問題: 

  読めばわかる通り僕の一番好きなμ’sの楽曲は『そして最後のページには』ですが、そんなことよりも、経験主義の主張を「白紙」という意味の言葉「タブラ・ラサ」を用いて論じたイギリスの哲学者は誰でしょう?