地震の影響が徐々に出て来ました。


あちこちで修理依頼があって正直回りきれない感じです。それに加えて通常の業務もあるので。


地震が少ない。安全な場所だ。


そんな神話じみた話しは消し飛びました。前々から、いつか大きな地震があるとか言われてたし、東日本大震災以降ハザードマップなんかも目にしていましたが、やはりどこか油断していたんだなと思います。自分も含めて大多数が。


何せ、いざ避難しようにも防災用品がまとまっていないし、水のストックも若さまの粉ミルク用に数本だけ。保存食も無ければ懐中電灯も普段ケータイのライトばかり使っていて手元に無い。


会社の車で出勤しているので懐中電灯もとんでもなく明るいやつはあるし、防寒着も安全靴もあるし、ある程度は何とかなりそうなものが揃っていたからいいようなものの。


改めて自分達の国が地震大国にあって、100%安全な場所など無いと自覚させられました。


そもそも、自分が住んでる地域も活火山があるわけで、これまで安全だとか言われていた神話じみた話しも全く根拠が無いんですがね。



さて、年末に若さまを車に乗せてドライブに行きました。というか、姫さまの友達が自宅に遊びに来る中で、殿下はママ友とお茶してりゃ良いんですが、自分と若さまは居場所が無いし、むしろ邪魔な訳で。


若さまは車に乗るとのび太並みにソッコーで寝るのでお昼寝にも良いし、ドライブに行きました。


今は撤退してもぬけの殻になっている我が母校の横を通ってみましたが、廃校になって3年ほど経っても綺麗なままでした。幸い阿呆な輩に落書きされたりも無く。


実はとある企業が居抜きで入る話もあって、どういう巡り合わせか、自分が工事に携わる可能性が浮上して来ました。


会社の別部門が見積をしているみたいで、もしその一部で自分に声が掛かればですが。


母校ですから。とにかく色んな思い出があります。今も互いに相棒と言い合う仲間ともここで出会い、殿下との出会いにしても、この学校の後輩からの紹介だった訳です。


高校2年生の頃にたまたま立ち寄ったこの県、この町、この学校にまさか2年後に在籍していて、まさかこのままこの県に住み着き、この町に戻って来て、結婚して住む事になるとは思ってもみなかったです。


どんな形に工事するのかは不明ですし、まだ見積段階で受注もしていないので確定ではありませんが、決まれば絶対に担当者になりたいですね。


さて、自分がそんな気持ちでいる中、後部座席では爆睡する若さま。この後2時間眠り続ける優秀な息子でありました。


次回に続く…