高校時代――
現在からは想像もつかないが、当時の私はスポーツマンだった。
バレー部の主将としてチームを率いていた私は、いま思うと嫌気が差すくらい真剣な態度で部活に取り組んでおり、その実直さから、当時、タバコを吸って謹慎を食らった後輩がいたのだけれど、謹慎があけるなりその後輩ならびに部員全員を部室に呼び出し、2時間も3時間も説教をくれた挙句、これたま全員に手紙を渡したりもした。
手紙の内容は想像のとおり。各自に責任感を植え付けるための、それはそれは臭い内容である。
余談だが、先日、その後輩が結婚式をあげたのだけれど、数年ぶりに会ったアイツは、式のさなか「昔、先輩からもらった手紙、今でも大事に保管してます」と言ってくれた。
私の涙腺は、ただでさえ相当ゆるい。
お陰様で、挙式の感動と相まって………余計、泣けた。
話がそれたが、肝心のバレーボールの腕前はどうだったかというと、これがなかなかどうして良い線いっており、チーム自体はどうにかこうにか県大会に出場できる程度のレベルだったものの、私個人は国体の一次候補選手に選ばれるところまで行っていた。自慢になるが、高校3年の夏、地元の実業団から誘いがかかったりもした。
それで勘違いをしたワケである。
これは大学へ行ってもうひと頑張りしたらモノになるんじゃないか、と――
というか、今、実業団から誘いがかかったくらいだから、大学でもまれた暁には、Vリーグ(国内バレーボールリーグの最高峰)からオファーが来たるするんじゃないか、と――
進学を決意した理由はそこに集約される。