光秀は滅多に文句や愚痴を周りの人に言わないが、この時ばかりは藤孝に愚痴を言った
「光秀、お前ほどの武将なら自分から仕官れば何処の大名家でも引く手数多であろうにのう。そうだな差しあたっては尾張の織田家か甲斐の武田家か・・・・」
 盟友の細川藤孝がそう言った直後、足利義秋が薄ら笑いを浮かべて光秀に・・・
「光秀、将軍に仕えよ。それとこの私を織田信長に引き合わせて貰いたい。聞くところによれば信長は桶狭間の合戦において東海一の弓取りと称された今川義元を奇襲攻撃で撃破して、また今は尾張と美濃の国境の墨俣に家臣の木下藤吉郎秀吉が、まるで一夜にして 砦を築き美濃の平定も間もなくじゃそうな。まさに日の出の勢いの信長に会えば自ずと 京への上洛という道も近づくであろう。」と言った。
 光秀にとって義秋の言葉は願ってもない話だった。
「義秋様、これは途方もない事を申されまするなぁ。されど今それがしも同じような事を思っておりました。今までは朝倉義景殿の家臣であり朝倉家には流浪の身を拾うて貰うた
恩がございましたが、これからは他の大名家に仕える事も考える潮時かも知れませぬ。」
 生真面目な光秀にしては珍しく、この時ばかりはし不適に笑って見せた。
「そうか光秀お前もやっと、そう言う気持ちになってくれたか、その気持ちは勿論ご家族や家臣も知って居られるあろうなぁ。」
  その藤孝の言葉を予想していたかの様に光秀は即答した。
「勿論の事じゃ。ワシの母御前も妻・ひろ子も家臣達も、この住み慣れたこの越前での暮らしを捨てて他の大名家に仕える事を喜んでくれておるわ。」
 光秀は藤孝にそう言った後、ふと振り向いて義秋に言った。
「義秋様それがしは、かつて今は亡き御兄上・足利義輝公のお側で、この細川藤孝と共にお支えしておりましたが、その時は。まさか貴方様に仕える事になろうとは思うておりませぬでしたが、貴方様がもし朝廷から正式に室町幕府・第十五代征夷大将軍に任ぜられれば、それがしと藤孝は兄弟二代にわたって将軍の臣下という事になりまする。それは。それがしにとっては何よりも誉れなる事にございまする それがしは、いずれ織田信長様に貴方様をお引き会わせれば、織田家に仕官する事になるかも知れませぬが、それ迄この光秀の身柄を貴方様にお預けしとう存じまする、」