翌朝。今夜の夜行列車の発車までソウル観光をする。夕方までホテルに荷物を

預かってもらった。私の鞄を見て「これだけですか、荷物が少ないですね」と

言われた。確かに、海外旅行で機内持ち込みサイズの鞄がひとつだけというのは

少ないのだろう。旅行の時は荷物を極力少なく、身軽にするのを心掛けている。

 パク・クネ大統領の辞任を求めるデモが日本でも報道されている時期だったので

それも尋ねた。盛り上がるのは週末であり、今日は平日なので問題ないとのこと。

 

 朝鮮王朝の王宮である景福宮に行った。2011年にソウルを訪れた時は世界遺産の

昌徳宮を見学した。どちらも似たような王宮だが、昌徳宮が当時のまま残っている

のに対し、景福宮は再建されたものである。

 

 朝鮮半島を日本が支配していた時代に、ここに朝鮮総督府が建てられた。建物は

戦後も残されて世宗大路の正面に立ちはだかっていたが、1996年に解体された。

 その後徐々に景福宮の復元が進み、現在は正面に光化門、その奥に勤政殿という

本来の姿に戻っている。

 

 奥の方には庭園があり、チマチョゴリを着た観光客が散策していた。旅先での

こういう楽しみは女性特有の物でありちょっぴり羨ましい気もする。敷地内には

国立民族博物館もあり、同時に見学できた。

 

 

 

 デモの参加者が集まっている場所の傍を通過した。大勢の人がいる。女性も多い。

テントを張った中に人がいるのは何日も行動しているのだろう。七夕の短冊を思わ

せる紙片が大量に括り付けられた所がある。ハングルだから読めないけれど、

それぞれの意見や主張が書かれているのだろう。非常な熱気を感じる。それでも

秩序は保たれているようで、特に危険な雰囲気は感じなかった。

 如何にも活動家風の人ではない普通な感じの老若男女がおかしいことをおかしいと

訴える様子には考えさせられるものがあった。

 

 昼食には水冷麺(ムルネンミョン)を、夕食には参鶏湯を食べた。まだ11月だけれど

夜の明洞界隈はクリスマスの装飾がされていて綺麗である。

 

 

 ソウル第二のターミナル、龍山駅から23時10分発木浦行のムグンファ号の夜行

列車に乗る。ディーゼル機関車が牽引する客車列車である。外観も内装も日本の

国鉄の14系座席車や485系電車によく似ていて、さしずめムーンライト木浦という

雰囲気である。

 

 

 翌早朝木浦に到着。ソウル方面行の列車に乗り継ぎ論山で下車する。行って戻る

行程だが、夜行列車に乗りたいのと宿代の節約を兼ねている。

 

 論山でバスに乗り継いで扶余に向かう予定である。ところが駅前にタクシー乗り場

はあるがバス停が見当たらない。周囲を歩き回ると漸く道路の向こう側にバス停を

発見。しかし市内の短距離の路線だけらしく、このバス停ではないようだ。

 

 人の少ない駅前を行ったり来たりしている私を客待ちのタクシーの運転手がじっと

見ている。やがて話しかけてきた。扶余に行くバスは何処ですかと訊けば、きっと

タクシーで行けと言われるだろう。首を振ってその場を離れ、近くのコンビニに

行った。ちょっとした買い物をしながら若い店員にバスターミナルの場所を尋ねる。

とは言え私は韓国語が不自由だし相手は日本語が分からない。英語で何とかやり取り

したが、徒歩10分程掛かるらしい。これでは見つからないはずである。この店員が

親切で、店の前まで出て道を指さしながら一生懸命に教えてくれたのが有難かった。

 

 無事にバスに乗ることが出来た。扶余に到着してまずは宿探し。今回の旅行では

初日と最終日のソウルのホテルは日本で予約したけれど、扶余の宿は手頃な所が

見つからなかったので予約していない。目を付けておいた宿に直行して声を掛ける。

幸い空室があり、2泊で70000ウォンとのこと。

 

 2011年の韓国旅行では慶州を訪れた。朝鮮半島の三国時代、高句麗・百済・新羅。

その新羅の都だった慶州を観光して、ドラマ「善徳女王」ゆかりの地も訪れた。

 今回訪れる扶余は百済の都だった街である。いろいろな史跡が残り、郊外には歴史

テーマパークもある。明日はそれらを観光する予定である。