お盆過ぎの良く晴れた日に横浜に行ってきた。

 

 今回は渋谷から東急東横線に乗った。東横線の渋谷駅はあまり広くないホームが

相変わらず多くの人で混雑していた。地下駅特有の圧迫感もあり、少々苦手だ。

かつての地上ホームが懐かしい。頭端式ホームに電車が並び、いかにも都会の

ターミナルという雰囲気で好きだった。

 私は20代の頃渋谷に通勤していた。銀座線を降りて、東横線のホームを横目に

東口の歩道橋を並木橋方面に渡っていた。

 渋谷と聞くとつい思い出してしまう。本題とは逸れるが、あの頃の気持ちを

少々書いておきたい。

 

 人間関係にうるさい会社だった。同期は十数人いたが私以外は全員女性だった

ので、やや注目度が高かったようだ。

 入社して間もなく、業務とは関係ない点で言われた事。野球部とゴルフ部と

ボウリング部があり、コミュニケーションの一環だから加入するように、と。

 

 ボウリング部は月に1回程度、皆が定時で上がり近隣のボウリング場で

2ゲームほどプレーしてその後軽く飲む、という物だったから特に抵抗は無かった。

 問題は野球とゴルフである。私は小さい頃から運動(特に球技)が苦手だ。体育の

時間にサッカーやバスケより持久走の方がまし、という生徒だった。それなのに

社会人になってまでスポーツを強要されようとは。

 

 もちろん私は拒否した。ところが先輩たちは、今まで男性で加入しなかった者は

いない、悪しき前例を作るわけにはいかない、などとしつこく強要してきた。

別室に呼び出されて説得されたりもした。私は拒否し続けていたが相手も負けては

いない。やがて根負けして、野球部は積極的には参加しないものの一応加入し、

そのかわりゴルフ部には入らない、という折衷案に折れた。ゴルフには全く興味が

無かったし、道具やプレー代など出費がかさむし、何より好きでもない事のために

休日を潰すのが嫌だったからだ。

 

 それでも野球の練習試合には何度か呼ばれた。野球場が大宮の方だったので、

千葉県民の私は休日なのに始発列車で出発したものだ。試合には出なくていい

ものの、キャッチボールなどさせられた。試合後は例によって軽く飲むわけで、

その席で「どうだ、たまには体を動かすのも気持ちいいもんだろう」などと

言われた。いいえ、無理強いされて仕方なく来ているだけです、などと言える

わけもなく「そうですね」などと追従して、内心は忸怩たる思いであった。

 

 これらは男性のみに求められる事だった。野球部やゴルフ部に加入している

女性社員はほとんどいなかったと記憶している。つまりは休日の部活動といえども

仕事の延長として積極的に参加して上層部に自分を売り込み、出世の足掛かりに

しろという事だったのだろう。

 

 社員旅行の前日、私は風邪気味で熱っぽかった。その旨を上司に伝えて明日は

休みたいと言ったらそうはいかない、這ってでも出てこい、と言われた事もある。

 

 こうした出来事から解るのは男性は女性よりハードに仕事に打ち込んで出世を

目指すのが当たり前、という価値観である。しかし人それぞれ様々な考え方・

生き方があり、それが尊重されるべきだと私は思う。

 同じ業務内容なのに男女で賃金が違うとしたらこれはおかしい。総合職で頑張り

たい女性がいるならそれでいい。ただし男性だからと営業をさせられたり、男性は

女性より頑張るべきだ、などと決めつけられるのは願い下げである。

 

 近年は男女平等とか女性が活躍する機会を、という意見をよく目にする。

私はそれらに基本的には賛成である。ただ多くの場合損をしているのは女性、

という決めつけがあると思う。しかし逆に、男性であるが故に本人が望まない

社会的な役割を押し付けられて荷が重すぎる、という場合もあるのである。

 また、社長や自治体の長など組織のトップについて、男性の方が良いとは全く

思わない。しかし女性ならいいとも思わない。杉田水脈氏のような例もある。

性別にとらわれることなくあくまでも本人の資質で判断するべきだと思う。

 私自身「男性」として扱われるのは苦手である。他人からお父さん・旦那さん

などと呼びかけられるのも大嫌いである。性別に関係なくただの人として

扱われたいと思っている。

 

 件の会社では普段の昼休みもどういう訳か、幹部以外の男性社員は1つの

休憩室に集まって笑っていいともなど見ながら一緒に仕出しの弁当を食べる暗黙の

ルールがあった。周囲から浮いていた私はこれが嫌でたまらず、毎日外に食べに

出ていた。渋谷なので食べる店には事欠かない。定食屋や喫茶店のランチを食べて

過ごすうちに行きつけの喫茶店という物が出来て、そこで過ごす時間が大切に

なっていった。

 そんな訳で渋谷には少々思い出があるのだが、近年の再開発の波はすさまじく、

数年前に記憶をたどって歩き回ってみたけれどまったく面影は無かった。

 

 柄にもないことを書いてしまった。話を元に戻そう。

 

 みなとみらいで列車を降りた。地上に出て帆船日本丸の脇から汽車道に入る。

これは桜木町駅そばから赤レンガパークの手前まで伸びる廃線跡を利用した

遊歩道で、足元にはレールも残り景色もいいので気持ちの良い散歩が出来る。

 以前と違うのは右側にロープウェイが並走している点だ。2021年4月に開業した

ヨコハマエアキャビン。約630mを5分で結ぶ。片道1000円。移動手段というより

アトラクションとしての位置づけなのだろう、運賃はとても高い。もちろん私は

利用しなかった。

 

 

 

 赤レンガ倉庫は現在修繕のため休館中で、そのため人出が少な目でむしろ

快適である。大桟橋に飛鳥Ⅱが停泊していた。

 

 

 赤レンガ倉庫の裏手に横浜港駅のホームが残っている。

 国際航路の荷扱所にホームを造り、氷川丸などの貨客船の出航に合わせて

東京駅からボートトレインと呼ばれる直通列車が運行されていたらしい。

1920年から1960年まで、戦争による中断はあったものの、ここが海外旅行の

玄関口だった時代がある訳だ。やがて海外へは航空機が主流になり廃止された。

 

 

 横浜港駅ホームの近くに海上保安資料館横浜館がある。中に入ると目の前に

黒い巨大な鉄の塊が現れて圧倒される。これは北朝鮮の工作船である。

 2001年12月22日に北朝鮮の工作船が海上保安庁の巡視船と撃ち合いになり、

やがて自爆して沈没する事件があった。日本側にも被害があった。その沈没した

船体を引き揚げて展示している。後部に観音開きの扉があり中が見える。よく

見ると射撃で船体に空いた穴に布切れが押し込まれているのが分かる。何とか

浸水を食い止めようと必死だったのだろう、当時の緊迫した状況が想像される。

 他にも自動小銃やロケットランチャー、金日成バッジや日本製の缶詰などの

引き揚げられた品々が展示されている。

 ここは、展示品は貴重なものだし結構見ごたえもある。入場無料である。

横浜観光の穴場スポットとしておすすめしたい。

 

 時刻は間もなく15時。感染者数が高止まりしているので、夕方のラッシュに

巻き込まれない様にそろそろ帰路に着く事にした。