今日は私の最愛の男 パトちゃんの命日 3回目の命日です。
この3年間 思い出さない日はない。思い出すとすぐ泣く。 泣いて泣いて、の3年間だったけれど今年の命日はたぬみちゃんも失ってさらに悲しい命日となってしまいました。
自分にとって大切な 自分の命以上 いや、今は私は死ねない 13匹を残してこの世からいなくなる事は絶対できないけれど でも自分よりも大切な物を失う悲しさはそれはそれは 自分自身も死んでしまったような痛みがある。この痛さが癒されて大丈夫だと言えるようにはまだなっていない。
親が死んでもこれほどまでには悲しい、とは思えないかもな… いや、すみません 親不孝とかじゃないよ そうじゃないけど本当に大切だったからね。
猫って 単純に猫、じゃない そうじゃない 家族なのは当たり前としても 自分の子供 私には子供はいないけれど多分もしいたらそう言う存在と同じなのかな。 自分よりもずっとずっと大切な存在なんだよね そうなんだけど 看取るまでをしないと責任を果たせないのが猫様、なんだな。 人間の子供は自分が先に死に次の世代を創り育むことを託す為に子孫を残す事が使命であってそれが出来たら良いけれど 猫は 残してはいけない。 最後のその時まで全力で支え守ることが保護主としての使命だと私は思っている そこまで出来たら良しとしなければいけないんだけど残った後悔の思いが何年経っても悔やまれるんだな…。
何度も同じ事を書いていますが 私史上最高にイケメンで カッコよくて でも甘えん坊で。 生きている間にもう2度とパトちゃんのような子には出会えないと思う
いや、パトちゃんと、のような信頼関係や繋がりを持てるような子にはもう出会えないと思う。 本当に最高にイカした子だったなあ、って思うんだな…。
最高の最高 汚れてても美しかった。 この美しさが見えない人とは私は付き合えない。
移転前の職場は5月にはツツジがたくさん咲いて良い季節には花いっぱいの中で
私が出勤するのをこうして仲良しのちゃちゃまると一緒に待っていてくれていた。
休みの日も休まずご飯に通ったけれど 行くのが遅くなった日だって
赤い車は往診車。そこに乗って絶対に待っていた。 待っているから保護までは行かない事は出来なかった。
冬の寒さを乗り切るためには
目立たぬように寝床も用意して
旧職場は有り得ないほど古くて寒かったから灯油ストーブも何台もあったから 鍋でご飯を温めて。
私が外へ出ると嬉しっぽでやって来る。
大雪が降った日だって汚れ切っていたけれど絶対待っていてくれた。
仲良しだったちゃちゃまるのパトちゃん 2人の事は絶対忘れられない。
ちゃちゃまるとパトちゃんがいたから外で暮らす猫の現実を嫌って程見たし 外に猫はいてはいけない、と思う。 助けたい 私1人が頑張ってもどうにもならないかもだけど何かの形でも助けになるような事を続けていけるように、と思っています。
もう一度ちゃちゃまるやパトちゃんに会いたいなあ… 夢でも良いから もし会えたら思い切り抱っこしたいですねえ。。。









