卓球部のみんなと色々と遊びに行ったけど、行かなきゃ良かったってのは言い過ぎで、笑っちゃうような場所は幾つかあったと思う。

その一つが雑賀崎灯台!

なんか景色良さそうなので、楽しみに行って見たけど、風景や灯台そのものにたどり着く前に、変な看板や変な売店、変な売店のおばちゃんに突っ込みどころ満載だった。


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和歌山での朝の日課の一つはカーラジオで『ありがとう浜村淳です』を聴くこと。

これ大重要だったな。これがないと一日が始まらない感じやった。

関東に転勤になって、一番ショックだったのはこれが聴けなくなったことだったかも。

今でもやってんのかな?
卓球部のみんなと遊びにゆく時は、だいたいが車を2台出して出かけることが多かった。でも2台とも軽自動車だったから、いつも車内はぎゅうぎゅう詰めだった。(笑)

自分の車は、新車で買ったばかりだったけど、すぐに梶取の体育館の前で事故ってボンネットが凹んだ状態でしばらく走ってたっけ。

でも、卓球部のOBのM代理が見るに見かねて知り合いの業者を紹介してくれて、ものすごく安い値段で叩き出して板金してもらって、すごく助かりました。

でもでも、すぐに板金がはげてきて「ケチるもんじゃないな」と大後悔。そんなオンボロ車だったけど、みんな嫌がらずによく乗ってくれたよなぁ。

というか、元々卓球部のみんなと交流するようになったのはこの時の車の事故で落ち込んでいたので、みんなが激励会を開いてくれたのが最初だったよね。

生まれ育った場所から遠く離れた地で、ひとり落ち込んでいたので、ホント嬉しかった。


話はそれたけど、もう一台は卓球部のS君がやっぱり卓球部のOBの先輩から格安で譲り受けたセルボだったよね。

見た目以上によく走ってたね。(爆)

いや~、この2台のオンボロ車で本当によく遊んだね。あの頃に返って遊びたいね。




南海の紀ノ川駅から大谷のAコープ(今はサンキョーというスーパーになってるみたい)の方に歩いてゆく道の、ちょうど中間あたりにおもろいおっちゃんがやってた理容室があった。

東京にいた頃は、バカ高い美容院で髪を切ってたけど、和歌山に引っ越してからはずっとここのお世話になってました。

別になんてことはない普通の理容室かと思い入ってみたことがきっかけで、その後はおっさんの人間性に惹かれて‥‥って言ったら言い過ぎか?いつもおもろい話をきかせてくれるので通い続けちやった感じかな?

そのおっちゃんは流しの理容師として北は北海道から南は九州まで?だったかな?を流れ歩いた的な話で、色んなとこの話を聞かせてもらったことを覚えてる。なので後に転勤で北海道に行った時に、思わずおっちゃんの話を思い出してた。

あのおっちゃんの理容室まだあんのかなぁ?


20年以上前に大谷に住んでいた頃、JR和歌山駅方面に行くのには、北島橋まで行くとかなり遠回り。そこでよく使ってたのが南海橋って言ったかな?

車が一台ちょうど通れる幅の橋で、当然車がすれ違えるわけもなく、時間帯で一方通行となる仕組みだったらしい。

「らしい」と書いたのは、この橋を使うのがほぼ夜遅くだったので、その時間帯は信号が青ならこちら側から渡ってよし。5分くらいすると信号は赤になり、向こう岸から車が渡ってくる仕掛け。

そういえば、一度だけ朝の9時頃に長崎屋側で(今はシティ和歌山だっけ?)ずっと待ってたら全然信号が青にならなくて、かなり時間が経った頃、軽トラのおじさんが「今の時間はずっと一方通行で、待ってても青になんないよ」って教えてくれた。仕方ないので北島橋まで行った記憶がある。

この橋との最初の出会いは、和歌山で一人暮らしを始めて、部屋に何もなくて色々と買い物がしたくて、長崎屋をめがけて歩き始めて川沿いまで来た時だった。

渡るかどうか躊躇したけど、北島橋は遠いし、川向こうには長崎屋の看板も見えてたので、勇気を振り絞り渡ってみた(笑)

でも本当にそれくらいボロくて頼りない橋だったし、渡ってる最中に後ろから車に抜かされるとヒヤッとする幅の橋だった。

今はもうこの南海橋はなくなり新しくバイパスができたらしい。便利にはなったと思うが、あの橋がなくなっちゃったのは何故か淋しい。もう一度渡りたかったな。あの頃、一緒に渡った人達と。


卓球部の方が連れて行ってくれたスナックで、マスターがカウンターでテーブルマジックをやって見せてくれるお店があった。

確か、ぶらくり丁の中だったと思う。

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今やテレビではよく見かけるけど、当時はそんなにすぐ目の前でテーブルマジックをするのは、流行って無かった。しかも、スナックのマスターが片手間でやってたにしてはめっちゃ本格的だった。

よく素人がやるマジックは胡散臭さ満載で、やればやるほど哀愁が立ち込めてしまうもの。そうじゃなかったから、20年以上経っても鮮明に覚えてる。

何てお店だったかな?

大谷にあったマンションの話の続き。


あの頃、軽自動車に乗ってて、駐車場が必要だったけど、敷地内の玄関出てすぐのちゃんとした駐車場が無料だった。

コンクリート舗装で、斜めに区切り線もちゃんと引かれてて、お金取ってもおかしくないレベルだった。


現在は、5000円で貸してるみたい。それでも安いよね。

まぁ、頭から突っ込んで駐車して、軽自動車でもバックで道まで出てこないといけないので、大きな車だと大変かも。借りてたのは奥から2番目だったと思うけど、軽自動車でも大変だった。

でも、何たって当時は無料だったから全く問題なかった。駐車場代が高くて車が無かったらと思うと、和歌山ライフは成り立たなかったとつくづく思うので。
和歌山のことを色々思い出しているうちに、住んでいたマンションが懐かしくなった。

確か、和歌山市大谷にあった小谷マンションだった。

あの頃、毎月の家賃を大家さんの家まで払いに行ってた。とても優しい大家さんで、本当にお世話になりました。それと、家賃を持ってゆくと、大家さんちの中学生くらいのお嬢さんが遠くの柱の陰とかからこっちをうかがってたのを覚えている。可愛らしい娘だったな。

Googleマップで場所を探してみたら、それっぽい建物があった。外見はそのものだったけど、建物の名前がアベニューなんちゃらに変わってた。賃貸物件情報アプリをダウンロードして(笑)調べてみたら、内装も大幅に変わってたけど、建物はそのままなので、昔の自分の部屋が頭の中に鮮明に蘇ってきた。

特にキッチン周りはリフォームされてなく、住んでた頃のままだったから確信しました。

家賃は20年以上前から1割くらい値上げされてたけど、まだまだ安い!まぁ、今住んでるワンルームのアパートより高いけど。でも、部屋が広かったからな。今の部屋の3倍はあったからね。卓球部のみなさんがたくさん遊びに来てくれた時も、狭くなかったからね。
梶取の体育館のすぐ隣にあった定食屋さんはなんて店だっけ?

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毎日のように食事してました。お世話になりました。

まだやってるのかな?
前回と同じで、和歌山市内に住んでたのに行く機会が無く、後悔してる場所がもう一つ。

それは和歌山競輪場。

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ギャンブルはほとんどやらないので、和歌山にいる間は、逆に近寄らないようにしてた感じでした。

でも、今となっては、一度くらい行っときゃ良かった。

これまで行ったことのあるのは、京都競馬場と中山競馬場、大井競馬場だけ。競馬が好きなわけじゃなく、何となく敷居が低いから。競輪は敷居が高いよなぁ。だからこそ、行っておきたかったというのはある。

生粋の和歌山市民は競輪場には行くんだろうか?