明日は第5回いさり火カップです。
もう、5回目になるんですね~
いさり火カップはもともと、潮ハンドボールクラブと青物の野辺地リトルガッツさんの交流試合に、他のチームも加わり、中学生や高校生も参加しての、最初はハンドボール祭りのようなものでした。
その次の年には、ジュニアハンドボール青函交流試合という名目で開催しました。
これがその時の看板です。
そして、その時のメンバーがこの子達です。
※ほとんどは、高校生や中学生になっています。
その時、函館大学の松先生から、キチンと冠を付けた大会にするべきでは・・・という助言を頂きました。
しかし、個人団体が冠大会を開催するのは問題がある・・・という諸先輩方の指摘を考慮し、ハンドボールの世界では大先輩の方に指導を頂きながら、函館協会に主催していただく方向で冠大会を検討しましょう~というのが始まりです。
この『いさり火カップ』という大会名は、函館と青森を繋ぐ津金海峡に、互いの土地から見える美しい漁り火のように、長く地域の人々に愛されていくような大会を目指すという函大の松先生の案をそのまま頂き、漢字の漁り火ではなく、ひらがなで『いさり火』として命名したのです。
なので、函館大学、松先生のご尽力があっての大会であったとをここで記しておきます。
こうして僕が個人的に開催した交流試合は2回で終了し、翌年から協会が主催する『函館会長杯・いさり火カップ』として第1回がスタートしたのです。
その時の看板がこれです。
そして第1回のメンバーがこの子達です。
※ほとんどは高校生・中学生です。
なにも解らない人間が、1つの大会を作ったのですから、当然いろいろとすったもんだあったのも事実です。
しかし、もう5回までやってきました。これを10回、20回と続けていけるように、これからも子ども達のために努力していきたいと思っています。
もう、5回目になるんですね~
いさり火カップはもともと、潮ハンドボールクラブと青物の野辺地リトルガッツさんの交流試合に、他のチームも加わり、中学生や高校生も参加しての、最初はハンドボール祭りのようなものでした。
その次の年には、ジュニアハンドボール青函交流試合という名目で開催しました。
これがその時の看板です。
そして、その時のメンバーがこの子達です。
※ほとんどは、高校生や中学生になっています。
その時、函館大学の松先生から、キチンと冠を付けた大会にするべきでは・・・という助言を頂きました。
しかし、個人団体が冠大会を開催するのは問題がある・・・という諸先輩方の指摘を考慮し、ハンドボールの世界では大先輩の方に指導を頂きながら、函館協会に主催していただく方向で冠大会を検討しましょう~というのが始まりです。
この『いさり火カップ』という大会名は、函館と青森を繋ぐ津金海峡に、互いの土地から見える美しい漁り火のように、長く地域の人々に愛されていくような大会を目指すという函大の松先生の案をそのまま頂き、漢字の漁り火ではなく、ひらがなで『いさり火』として命名したのです。
なので、函館大学、松先生のご尽力があっての大会であったとをここで記しておきます。
こうして僕が個人的に開催した交流試合は2回で終了し、翌年から協会が主催する『函館会長杯・いさり火カップ』として第1回がスタートしたのです。
その時の看板がこれです。
そして第1回のメンバーがこの子達です。
※ほとんどは高校生・中学生です。
なにも解らない人間が、1つの大会を作ったのですから、当然いろいろとすったもんだあったのも事実です。
しかし、もう5回までやってきました。これを10回、20回と続けていけるように、これからも子ども達のために努力していきたいと思っています。