朝ドラのヒットにより、柳原白蓮が話題の人になっています。
歌人としての業績や炭鉱王伊藤伝右衛門との生活・白蓮事件・大震災などには触れません。
大正9年1月、28歳で帝大の学生でありながら雑誌「解放」の主筆であった宮崎龍介が
別府にあった伊藤家の別荘に掲載作品の打ち合わせで白蓮(36歳)を訪ねました。
白蓮は社会改革の理想に燃える宮崎に心を惹かれ、一日に何通も手紙を書く様になります。
龍介の机には恋の短歌の電報がうず高く積まれました。
出会ってからおよそ半年後の手紙。
「(前略)どうぞ 私を私の魂を しっかり抱いてて 下さいよ あなた決して
他の女の唇には手もふれては下さるなよ 女の肉を思っては下さるなよ
あなたはしっかりと 私の魂を抱いてて下さるのよ きっとよ
少しの間もおろそかな考えを持って下さるなよ
夏にはあいましょう 今はあまり人々の視線が強すぎて 私は目がくらみそうですから
そして妬みの焔の中に貴方を入れたくないから 貴方が卒業してしまったら
或いはその嫉妬の焔の中に なげ出してみて これみろと人々に見せつけるかもしれない
覚悟していらっしゃいまし こんな怖ろしい女もういや いやですか いやならいやと
早く仰しゃい、さあ何とです お返事は? 五月三十日 夜 龍さま 連」
昭和33年、白蓮は緑内障のために両眼失明、龍介の介護を受ける。
昭和42年2月22日、龍介に看取られて逝去(82歳)。昭和46年龍介逝去(79歳)。
白蓮、辞世の句
そこひなき闇にかがやく星のごとわれの命をわがうちに見つ

遠い花火
歌人としての業績や炭鉱王伊藤伝右衛門との生活・白蓮事件・大震災などには触れません。
大正9年1月、28歳で帝大の学生でありながら雑誌「解放」の主筆であった宮崎龍介が
別府にあった伊藤家の別荘に掲載作品の打ち合わせで白蓮(36歳)を訪ねました。
白蓮は社会改革の理想に燃える宮崎に心を惹かれ、一日に何通も手紙を書く様になります。
龍介の机には恋の短歌の電報がうず高く積まれました。
出会ってからおよそ半年後の手紙。
「(前略)どうぞ 私を私の魂を しっかり抱いてて 下さいよ あなた決して
他の女の唇には手もふれては下さるなよ 女の肉を思っては下さるなよ
あなたはしっかりと 私の魂を抱いてて下さるのよ きっとよ
少しの間もおろそかな考えを持って下さるなよ
夏にはあいましょう 今はあまり人々の視線が強すぎて 私は目がくらみそうですから
そして妬みの焔の中に貴方を入れたくないから 貴方が卒業してしまったら
或いはその嫉妬の焔の中に なげ出してみて これみろと人々に見せつけるかもしれない
覚悟していらっしゃいまし こんな怖ろしい女もういや いやですか いやならいやと
早く仰しゃい、さあ何とです お返事は? 五月三十日 夜 龍さま 連」
昭和33年、白蓮は緑内障のために両眼失明、龍介の介護を受ける。
昭和42年2月22日、龍介に看取られて逝去(82歳)。昭和46年龍介逝去(79歳)。
白蓮、辞世の句
そこひなき闇にかがやく星のごとわれの命をわがうちに見つ

遠い花火

