吉慶圍 錦上路站

香港のMTR(地下鉄)錦上路駅は、香港の歴史で有名な新界五大氏族のうちの一つである鄧(ダン)一族の歴史を感じる場所です。
そして、イギリスの植民地時代のグルカ兵(ネパール人)の末裔の方々や、その後移住してきた新しいネパール人の方々、欧米系の方々が住むという国際文化が融合したユニークな場所です。
香港にはこのように、まるで別の国に来たかのような雰囲気の変わる場所が多々存在します。

香港の歴史で最も過酷と言われた清の時代の「遷界令」で、多くの人が強制移住をさせられ、家々が焼き払われました。
22年ほど続いたこの過酷な政策がようやく終わりを迎えたとき、一族は破壊された家々や雑草が生える荒野から囲村を作り、コミュニティを作り直しました。

この土地とコミュニティは、一族にとってのアイデンティティでもあります。
固く頑丈な壁を見ると、当時の生活が如何に危険で激しい争いをしていたかが分かりますね。


この吉慶圍は2026年現在は、中に立ち入ることができなくなっていますが、見どころはこの城壁だけではありません。もっと入り口の近くに行ってみてください。左右に黒い鉄の門が見えてきます……



《黒い鉄の門の物語》
イギリスの植民地に、この土地の所有権を巡って鄧(ダン)一族は激しく争いました。(新界六日戦争)
イギリス軍は大砲でこの城壁と黒い鉄の門を打ち破り、戦利品として香港総督の故郷であるアイルランド(当時の英国領)の邸宅に持ち帰ってしまいます。
戦争に勝利したイギリスですが、地元の有力氏族である鄧(ダン)一族と衝突を続けるのは得策でないと考え、政策を変更していきます。
イギリスは新界の全土をイギリスの土地と定義したものの、伝統的に土地を所有していた鄧(ダン)一族などに対しては、地税を払うことを条件に土地の継続使用を認めました。
そして26年後に一族の願いが叶って鉄の門は返還されました。

実は左右は非対称。返還の際に鉄の門をペアで見つけられず、イギリスが持ち帰っていた別の村(泰康圍)の鉄の門と組み合わせたからです。
(左が吉慶圍、右が泰康圍)


この黒い鉄の門がこのように熱い物語を持っていながら、なぜ博物館に展示されないのか……
それは、一族が廃墟から村を作ったプライドと、命がけで土地を守ったという、一族だけの歴史の証なのででしょう……。