高天原山荘 15:45(10:15)
すっかり温泉を堪能し、再び山荘へ戻って休憩。ここまでは緩い登りだが、
湯上りのためかダレてしまった感じ。まずい、この先も長いというのに、
行く先が思いやられる。
高天原峠 17:00(11:30)
ようやく登りが終わった。あとは下るだけだ。今日の宿泊予定は、当初、太郎平
小屋にしていたが、とても無理。せめて日のあるうちに薬師沢小屋へに到達して、
今夜は山小屋泊まりを目論んだ。しかし、黒部は甘くはなかった…
E沢、D沢、C沢と逆アルファベット順に沢をトラバースして行く。ここはD沢で、
長い梯子が掛かっていた。沢の水で水分補給しながら荒れた道をゆっくりと
進む。
C沢へ下ったところ。遠くに滝が見える。ゴロゴロとした岩が転が険しい地形に
遅々として歩みが進まない。おまけに20年越しの登山靴のソールが本体との
間に隙間が出来て、いつ剥がれてもおかしくない状況になった。
これは帰宅後の写真だが、本当に剥がれなくて良かった!
すでに横方向のホールドはグニャグニャで、スニーカーレベルのホールド性しか
持ち合わせていない。特に左足の内側が痛くてたまらない…
ユニークな看板でB沢に出たことを知る。もう少しで黒部川の本流に合流できる。
もう沢ごとのアップダウンから解放されると思い心も落ち着いた。しかし、黒部は
そんな小さな安らぎさえ、無残にも打ち砕く厳しさを見せつけるのであった。
本流との合流地点に到達。B沢出合(であい)というところだ。もう体も足もガタガタ。
すでに18:00を回っている。ここから薬師沢小屋までコースタイムは1時間半となっ
ているが、どうやら日没までには無理そうだ。ヘッドライトを点けて20:00到着を目指
して進むことにした。朝5:30からの歩きなので、休憩を入れて12時間近くも歩き続け
て流石に疲れた。もはや自然は敵じゃない。自分自身の弱さが最大の敵である。
黒部川の本流とはいえ、支流の沢の方がまだマシだ。こんな凶悪なほどデカイ岩
がゴロゴロとした道なき道をたどる他ない。これが聞きしに勝る大東新道であった。
ちなみに黒部で新道と付くのは険しい道の代名詞。自然環境の激変で何年かおき
にルートが変わるため、新道と名付けられるのだろうか。
川の渡渉で登山靴を濡らしたくない人はこんな調子で岩を高巻く。何というルート
だろうか。一つ間違えると命に関わるので、慎重さと同時に覚悟が求められる。
本流をたどりながらA沢を横断する。ここがガレガレで、気象の急変では一番気を
付けなくてはならない重要ポイントだ。過去に幾度もルートが変わっている。
この先、大岩の割れ目に身体を突っ込んで、両腕の力で荷物込みの全身を持ち上
げるポイントなど、アスレチックジムみたいな現場に度肝を抜かれた。
岩にペイントされた赤い○印を絶対に見逃してはならない。いくらルートファインデ
ィングに自信があっても、基本ルートは必ず守ることを肝に命じる。決して焦っては
いけない。一歩一歩を確実には合言葉だ。土壇場で楽をしようと目論み、エイヤの
ギャンブルで命を落とす人が毎年のように絶えない超絶的な危険地帯なのだから。
この先は残念ながらスマートフォンのバッテリー切れで画像がアップできない。
ザックの中にコンパクトデジカメもあるが、両手を離す訳にもいかず、かといって
首から下げていれば、何かに引っかかって命取りになる可能性も高い。薄暗いし、
申し訳ないが、これ以上のサービス精神は発揮できない。
そしてとうとう日が暮れてしまった。もはやビバークしか生きる道はない。なるべく
平地で落石を避けられそうなポイント探すが、なかなか見つからない。ヘッドライト
を点灯させるが、視野はあくまで限定的。足元だけでなく、併せて赤丸ペイントも
見逃せない。
しかし、空が闇になるとこれ以上の行動は圧倒的な危険行為でしかないことを悟
った。薬師沢小屋まであと1時間以上は掛かりそうなので、今日は諦めるとしよう。
19:30 14時間歩いてもう限界。ようやく人ひとりが寝そべられる平地を見つけた。
もうテントを張る体力も気力も残っていない。しかし、幸いにして完璧な星空に救
われる格好に。マットを敷いてシュラフへ着の身着のまま潜るだけでもう精一杯。
あまりの疲労で吐き気が襲う。もう気を失ったように眠るのであった。
こうしてビバークを2日続けることになったが、山小屋代が2泊分(1万数千円相当)
が浮いたなんて、うすら喜ぶのは下山した後の話でしかない。それよりも反省すべ
きは計画の甘さ、自信の体力の無さ、老朽化した靴、無駄なほど重い装備、そして
32年前とはいえ元登山部のプライドによる精神的な追い込み。
けれども、もう2度と嫌とは思えない。今度はどんな計画で、身体を鍛えて、靴を
新調して、装備を見直して、プライドはそのまま(笑)なんて想いが募る。
懲りない性格というのは、もうすぐ50を迎えようとも関係ない。目標がある限り、
死ぬその日まで、しつこく挑戦するのである。
その6へつづく