99歳になるハンガリー人のBさん。Bさんは娘さんと一緒に暮らしているのだけど、

 

トイレも1人で行くし、歩行器を使ってはいるけど、しっかり歩ける。

 

シャワーもシャンプーや足の先以外は自分で洗うという、

 

とても99歳になるとは思えない方ですおねがい

 

身だしなみにも、とても気を使っていて、ネイルをキレイに塗っていて、

 

髪を洗った後は娘さんがカーラーで髪を巻いて、ヘアスタイルを整えるのが日課!

 

私は時々カーラーを渡しながら、娘さんは髪を巻きながら、

 

Bさんは巻かれながらウシシ座ってお喋りするのが楽しみになっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前の記事でも書いたナショナリティの話になり、娘さんが子供の頃の話をしてくれた。

 

 

今60代の娘さん。

彼女が小学校・中学校くらいまでは移民も少なく、

 

クラスは殆ど白人系だったそう、それまでピザなんて食べた事がなかったらしい。

 

12歳で初めてブラック系のクラスメイトに会い、

アジア人に会ったのもその後だいぶ経って。

 

ハンガリー人→スコットランド人→ポルトガル人→イタリア人

→中国人→インド人

 

だいたい、このような順でいつの間にか移民が増えていったらしい。

 

 

Bさんはユダヤ系ハンガリー人。

Bさんのお父さんは1929年の世界大恐慌の頃にハンガリーからカナダへ

出稼ぎで来ていたそう。Bさん達家族はハンガリーで生活。

 

その何年後、お父さんが里帰りをするため船のチケットを買おうと並んでいた時、

 

チケット屋の人が言った。

 

「今ハンガリーに帰ったら、これからドイツ軍が侵攻して大変な事になる。

家族をカナダへ呼び寄せなさい。」

 

 

 

お父さんはその人の言う事を信じ、家族へ連絡。

Bさん一家はすぐに家を売り、カナダへの資金を作って移住してきたのだそう。

 

周りが英語を話すなか、なかなか慣れず当時はハンガリーへ帰りたかったとBさん。

でもあの時、ハンガリーに残っていたらユダヤ人として、

どんな扱いを受けていたのか分からない。父に感謝していると言ってた。

 

お父さんがハンガリーに帰ろうとしなかったら、

チケットを別の所で買っていたら、

 

私は今、生きてなかったかもしれないとBさんは言ってたショボーン

 

 

いつもBさんから聞く話は、とても興味深いです。

私が生まれてない時代を長く生きてきたBさん。

1930−1945年頃海外で起こっていた事を生の声で聞けるなんて、

とても貴重だなと思います照れ

 

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