愛とはなんなのか
マザーテレサの言葉に
「愛の反対は無関心」
とゆう言葉がございます。
個人的見解ですが、つまり愛とは対象に関心を持つ事でしょう。
それは、いじめや暴力やテロなども含まれるのでしょう。
もちろん福祉や介護や優しさなども含まれるでしょう。
人間に生まれて来た時点で、何かに対して関心を持たないとゆう事は不可能です。
愛とは人間の宿命で、みんなが必ず持っている最高の才能だと思います。
その偉大な愛をどう使うかは、ひとりひとりに委ねられています。
関心や興味があるとゆう事は、必要としていることにつながると思います。
必要とされてないと感じている人に、あなたの愛を届けてあげてください。
それは、あなた自身が必要とされている証しです。
祖先をたどってゆけば、みんな同じ。
あなたはわたしで わたしはあなたです。
なにがあっても、存在自体を否定してはいけない。
自殺するとゆう事は、他人を殺すようなもの。
愛をどう使用するかをすべての子供達に、すべての社会人が教えなければいけない。
まずは日本の放送禁止用語を、見直すべきだと思います。
死ね とか 死ねば良いのに などの存在否定的用語を禁止にするべきはずです。
我々はプラスチックではない。
*ここからはまったくの個人的たわごとです*
悟りとか禅の世界とゆうのは、この関心を捨て無になる事だと思うのですが
つまり人間を超越してただの物体になるとゆうことは
現代の多角的社会において非常に危険な事だと思います。
生まれる前、死後の世界に行くだけのことです。
生きているとゆうことは存分に愛を使うべきです。
目指すべき所は、生まれる前・死後の世界ではないはずです。
説教的な文章で大変失礼致しました。
すべては、僕の一つの表現に過ぎませんのでお許しください。